●コトノハの純度及予定調和の華
September 07, 2007
夏はもう後ろ姿ですね〜
皆様いかがお過ごしでしょうか?
この夏偶然にも「岩に染入る 蝉の声」の如く心に染入った川柳と出会えたのでそれを御紹介します;
慌て者 小便したい ままで行き
諸共と 思へばいとし この虱
これらは神風特別攻撃隊員によって実際に詠まれた川柳です。数時間後には確実な死が待っている中でのこの「粋」...
或る意味究極のダンディズムだと思うのは僕だけでせうか?
特攻というのは原則的に志願者のみで強制ではありませんでした。しかし当時の状況を考えるとマジアリエナイKYの方でもNOとは言えなかったであろう事は想像に難くありません。政治/道徳/宗教といったイデオロギーはさておいて「自分が10人の米兵と心中すれば20人の日本人の命が救われる」という胡散臭いzarukanjou方程式を自らに言い聞かせながら20歳前後の若者達が「日本の明日」と引き換えに「自分の明日」を棄て、その礎が巡り巡って僕達/私達の今日が存在しているといふのは毅然たる事実であります。
「プチ・ウヨッキー」なおっさんのウザイ説教みたいですが、そのような流れでこれら英霊が今日の日本を見たらどう思うのだろう?とふと考えてしまいました。でも僕の思う所は全然「最近の若者は云々...」といったベクトルではなく、むしろその「最近の若い奴らは云々...」と物知り顔で判ったような事を宣っている「知識人」「政治家」「著名人」等々といった所謂「皇紀2667年の日本の顔」を代表する面々の「魂及コトノハの純度」の方で御座います。
我々がもし今この瞬間から魂の深淵より湧き出てきた妖刀の如き鈍さを持つ真実のコトノハのみを語り続けて生きられたとしたらきっといつの日か「神」の領域へと到達するでしょう。皆様も是非お試しアレ!
「非暴力主義/平和主義」というのを突き詰めるとそれは単に「相手を殺すより自分が殺される方を選ぶ」程度の生易しい話ではなく、例えば自分の家族や友人が殺され、妻や彼女や妹や娘や二号さんが強姦されても「武器は取らない」と断言出来て初めて真実味を帯びるという実は弱い人間には到底不可能な非常に厳しい究極の選択肢なのです。
夏の風物詩といえばテレビの「終戦特集」- そこでは(IQ二桁の)オーディエンスに向けて(IQ二桁の)芸能人が戦後教育の成果を証明するが如く「いや〜せんそうっていやですよね〜」的フレーズを連発し、そこにいる烏合の衆もとい "ゲスト" が「そ〜ですよね〜」とコール&レスポンスで美しい予定調和の世界を展開しております。
英霊達の命といふ肥料の上に乱れ咲いたこの「予定調和の華」、心の心底より「こぎれい」だな、と思います。
僕は「国境」とか「偏見」といった人と人の間に隔たりをつくるものは全て反対です。正直むしろ戦争よりもそっちの方に強く反対します。
「どうやって生きる」&「どうやって死ぬ」 - この二つに思ってた程差はないのかもしれないですね。


