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October 02, 2005
●西方見聞録其乃弐拾: ヘドニストのジハード(快楽主義者達の聖戦)
9月23日金曜日朝、友人混沌(= Quentin)とちんちん電車の停留所で別れてユーロスターに飛び乗り、一路今回のロマン紀行最後の巡礼地である花の都巴里へ!この日はJAPレーベル・メイト、Franckのお友達でミュージシャンのBenjaminと昼過ぎにバスティーユ広場で待ち合わせているのですが今やこの二つの都市間の所要時間は若干1時間20分!日帰りも全然可能なんですね〜。
で、このベンジャミン、フランクを通じで彼の音楽だけ聴いた事があるのですが(まだこの時点ではメエルのやり取りだけで直接逢った事なし)一聴して「この人天才!」。
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今回色々御世話になったCANのIrmin Schmidt師は初めて聴くCDとか大体さわりをちょっとしかかけません。いみじくも「最初の16小節、或は15秒位聴けばそのミュージシャンの器量は大体推し量れる」と仰ってました。僕も仕事柄そんな聴き方しかしませんが、実にその通りだなと今更ながら痛感しています。多くの”自称”ミュージシャン、そして”自称”音楽ファンは曲の中で一番大事なのは所謂「サビ」の部分だと思っていますがこれは大きな間違い。「聴かせ所」と「最重要部分」は違うのです!オープニングに何のエネルギーも感じられない作品、そして最初に握手したときに何のエネルギーも感じられない作曲家はほぼ100%音楽的にも人間的にも大した事ないです。
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ベンジャミンの作品、友人・知人の創った音楽でこれほど衝撃を覚えたのは初めてといっても差し支えなく、以降自分のラジオ番組Massiveloopでもハードローテーションでプレイしている他、かつて選曲を担当していたTokyo FMのPrime Time Radioでも何度かかけたりしました。番組のDJだったジョージ・ウイリアムスも彼の音楽にもの凄く感動して「是非国際電話で繋いでゲストに呼ぼう!」なんて言っていた程。なのでこの出会い、僕にとっては大好きなミュージシャンに逢う、みたいな心境なのです。
ホドロフスキー老師と逢った時以来2週間以上ぶりの巴里、またまたピーカン空で迎えてくれました。で予定より早くバスティーユに到着してスーツケースをごろごろ転がしながらバスティーユ広場で時間潰し。東京を出る前はこういった「無駄な時間」が本当に嫌いだったのですが、長い旅を経た今は全然苦にならなくなった自分がいるのに気付きました。兎に角、時間がすこしでも無駄になるのが嫌いで電車や信号とかでもギリギリ間に合わなかったりするともの凄くイライラしたのですが、やっと些細な事では侵される事がない心の平安が少し得られたような気がします。
しかし待てども待てどもベンジャミンらしき人は現れず、携帯に電話をしても留守電のまま。ギリギリまで待ったのですが次のアポがあったので結局その場を去る事に。かくして次の目的地は巴里で最もお洒落なラジオ局、Radio NOVA!住所をあてにやってくると表からは何の看板も出ておらず、お店かレストランの勝手口みたいな雰囲気。何度も前を行き来して「本当にここなのか?」と思ったりしましたが、住所を見る限りここ以外ありえないので「えい!」っと入ってみると中庭にやっとこ見慣れたNOVAのロゴが!かくして仕事で何度かお世話になったMarc氏と初対面を果たし、NOVAのスタジオとかを色々と見せていただきました。その後またまたコーディネーション等でよくメエルや電話のやり取りをしているBintou女史も合流して三人でおランチ。近くのカフェで食べたのですが勤務中でも普通にワインやビールを飲むのが話の分かるパリジャン。この時いただいたサラダもスバラシイ!っていうか仏蘭西のサラダは世界一ですね。「たかがサラダ云々….」と言われる方は是非サラダ宗主国(?)仏蘭西にてお試しあれ!
その後NOVAに戻りMusic Directorの人と会ってJAPのCDを渡したりとかプチ営業活動をしているといきなりNOVAにベンジャミンから電話があり、「今近所にいるから直接NOVAに来てもいいか」との事。かくしてNOVAのレセプション・ホールにて初めて出会ったベンジャミン - 長身にボロボロのジャケットとスラックスを纏い、いかにもピアニストらしく猫背。凄い眼力の落ち着きのない目の持ち主で逢う人全員に’Bon Jour’ と声をかける姿がとても「セトギワ感」溢れていて印象的。待ち合わせに来られなかった事を僕に詫びた後で理由を説明してくれました。どうやら彼は今巴里ではなく独逸の国境に近い仏蘭西東部に住んでいてこの日は朝早く車で来たらしいのですが、途中で警察に止められ、もう7年以上前から運転免許証が無効になっている事がバレてずっと警察署で絞られていたとの事。丁度僕が電話した時は警察の尋問中で電話が取れなかったんだ、と説明してくれました。
その後二人でバスティーユ広場近くのカフェに座りビールを飲みながら色々話をしました。僕がどれほど彼の音楽が好きかと言う事を説明すると照れくさそうに「ありがとう。でも僕は何でも詰め込みすぎる傾向があるから音を整理してくれるパートナーが必要なんだ」と。今はどんな曲を創っているの?と訊くと「ロックとダンス・ミュージックを融合したような…..言ってみればMichael JacksonのBilly Jeanの現代版みたいなものを創ろうとしているんだ。Billy Jeanは凄い作品さ。あの曲のコード拾った事あるかい?あの曲の凄さはギターやピアノで和音を弾きながら自分でメロディを唱ってみて初めて判るんだ。マイケルのメロディ感覚はモーツァルト並だよ」との答え。マイケル・ジャクソンを天才と賞賛する人って100%信用出来ます。巴里は好き?という質問に対しては「巴里の女の子は好きだね」との返事。会話中も女の子が通るたびに必ず目線がそっちの方に泳いでいるベンジャミン。すぐ我に帰ってニコニコしながら「俺は’Horny Bastard’さ」。確かに巴里は(プレゼンが)美しい女性、多いですね。「究極的には美とは不快なものさ。ランボオの”地獄の一季”の最初の部分に「ある日僕は美を膝に乗せた。僕は彼女を苦々しく思った」という下りがあるけど今程それを強く感じる時はないね」と僕が言うとベンジャミンは「うん。美というものは水と火の元素から成っているんだか、つまりは相反する要素で創られているものだからね」との答え。不快で残酷なものに心を奪われるのは不思議な快楽ですね。また楽器は?と訊いたら「ピアノ、ギター、ベース、ドラムス。僕は凄くいいジャズ・ピアニストなんだ」との答え。奢りが一切感じられず本当の事を率直に言っているだけなんだという事がすぐ判ります。子供のときから音楽を習っていたのですが14歳の頃楽典知識は自分の音楽にとって邪魔だと感じ、以降「忘れるように」しているらしく「楽譜なんて時代遅れの表記法だ」と語っていました。「今ボクにとって一番大事な楽器はこれさ」と自分のSony Vaioを指差して語るベンジャミン。
冷たいビールが美味しい!
そんなこんなで話は尽きる事がありませんでしたが、この日の晩は生まれたばかりの子供の世話をしに彼女の家に行かなければならないとの事で日曜日にもう一度逢う事を約束してベンジャミンとは別れました。その後倫敦時代からの友人Chrisに連絡して彼女の家に向かい荷物を降ろした後、サン・マルタン運河の畔にある「北ホテル(Hotel du Nord)」へ晩餐に。1938年に制作された岩波ホール系名画「北ホテル」の舞台となったところですが、今はバー・レストランとして営業しています。外観は当時の佇まいを残しており凄く雰囲気はいいところですがクオリティの割にはお値段やや高め。
食事の後はNOVA主催のクラブ・エベントに出動!Chrisは疲れていたようなので僕一人でペール・ラシューズ墓地の裏の方にあるクラブへと行きました。”Who stole the soul?”という名の通り一応音楽はファンク&ソウルという事でしたが夜も進むにつれてどんどんガラージに。この辺はある意味判りやすい展開ですよね。12時半位から客も入り始めてかなりの盛り上がり!
ウォッカのショットとかを飲んでいい感じに酔っぱらったところで ”朝までコース” はちょっと………と思い徒歩で帰宅を決意。泊まっているChrisの家はペール・ラシューズ墓地からナシオン方面に歩いて30分程度のところにあるモンガレイ地区。ペール・ラシューズ墓地とナシオン広場を一直線に繋いでいるアウ゛ェニュー・フィリップ・オーガストを夜中の3時過ぎにふらふらと歩きながらいよいよ残り2日余りとなった長かったようで短かったようで長かったような短かったような僕の欧州大陸の放浪を振返ってみました。
飛行機の予約も支度もぎりぎりまでせず最後の最後まで「本当に行けるのか?」と思いつつ何とか巴里にたどり着いたのがもう2 ヶ月半も前。正直最初着いた時は疲労が極限状態だったのに加えて酷暑と夜な夜な宿泊地が変わるという無計画さも相まって本当に「巴里の憂鬱」状態。方位学的にもあまりいい方向ではなかった今回の旅。そのせいかも、なんて思った時もありました。でも旅が進むにしたがってどんどん気運が上昇。あらゆる美しい出来事が予定外に起き、また世にも稀な純度の高い魂の持ち主達とも数多く逢えた我が放浪。結果オーライ100%完璧な旅でした。自分が生き延びるのに必要なものは全て小さなスーツケースに収まっているという事を実感した瞬間!これは仏教用語の「小悟」という言葉を借りるより他表現のしようがありません。この絶対不可侵な自由と共に僕は残された人生を生きて行くんだ、と決心した瞬間、眼の奥の方より熱い感情が込み上げてきました。薄着でも歩ける暖かい巴里の秋の深夜、本当に森羅万象に感謝出来る時間が持てました。
翌24日のお昼はリヨン駅の近くにあるサルディーニャ料理のお店へ。自家製ラヴィオリを頂いたのですが、これが「昇天もの」。素晴らしい味の芸術作品で御座いました。しかも僕らの隣には仏蘭西人俳優であのモニカ・ベルッチの夫であるVincent Casselが食事をしています。なんでも噂によるとここはモニカが巴里で一番お気に入りのレストランだとか。どうりで美味しい訳です。でも願わくばモニカに逢いたかった........
お腹が幸せになった後は自己流観光。まずは第六区にあるオスカア・ワイルド終焉の地、L’hotel。それからその直ぐ近くにあるセルジュ・ゲンズブールの家へ。セルジュの家があるのは革命以前から続いている貴族とかが住んでいるというセーヌ川に程近い高級住宅街。そこに忽然と現れる場違いなもの凄いグラフィティだらけの家。でもそれは単なる「落書き」を超越し、システィーナ聖堂のミケランジェロのフレスコ画にも似た巡礼者達による宗教的「コラージュ壁画」。
その後は今回の旅で不思議と縁のある霊界分譲住宅地訪問。この日はモンパルナス墓地にてサルトル、ボーボワール、ゲンズブール、そしてボードレールの墓前を訪れました。御墓参り後はかつてピカソ、コクトー、マチスやF・スコット・フィッツジェラルド等が常連だったというモンパルナスのCafe Selectでチルアウト。最初はカフェ・オーレでも頼もうかと思っていたのですがF・スコット・フィッツジェラルドがかつて来ていたと思うと「アルコール以外を飲んでは失礼ぢゃなひか!」
そんな訳で往年の時代より殆ど内装はそのままというCafe Selectを出るときにはすっかり出来上がっていた僕。そのままサンジェルマン・デ・プレにあるギリシャ料理のお店でChrisと彼女のお友達と合流。美味しいギリシャ料理とギリシャ・ワインでエピキュリアンなひとときを満喫。
翌日は欧州滞在最後の日、という事でとりあえずBenjaminとTomo@parisさんに連絡して逢おうと思っていたのですが行き違いばかりでなかなか連絡取れず。結局この日の午後はバスティーユ近くのカフェでワインを飲みながら書き物をしておりました。
Tomo@parisさんと連絡が取れたのはその日の晩。「今からでも御飯食べに来る?」というお誘いでサンジェルマン・デ・プレにあるTomoさんの素敵なお宅にお邪魔。Tomoさん手作りの美味しい料理をいただきながらワインをぐびぐびと。80’s音楽に造詣が深いTomoさん(本当に求道的とさえ言える程よく御存知ですよね)、相当なぬいぐるみコレクターでもあるのですが80’s激レア・アイテムもお部屋の隅々に見受けられます(写真3参照)。
その辺の話題で盛り上がりいい感じにお酒が回って来たところで時計の針は12時を指している事に気付きおいとま。僕が出る前Tomoさんしきりに「大丈夫?」と訊いてきて僕は「全然大丈夫ですよ!」と元気よく答えていましたが道を歩いていてTomoさんが何であんなに心配していたか判りました -「これってもしかして千鳥足ってやつ!」
お酒は好きなれど所謂「完全泥酔」で「潰れる」に至ることは殆どない僕ですが、この時はちょっとヤウ゛ぁかったですね〜。かろうじてメトロのOdeon駅にたどり着き、4号線に乗ってStrasbourg-St. Denis駅で9号線に乗り換えるのですが、9号線のプラットフォームでベンチに座って電車を待っていたらマジで動けなくなってしまい、刻一刻と終電の時間が近づいているにも関わらず電車を2本ほど御見送り。「このままここで一晩過ごしたら明日の飛行機にはまず乗れないよな…..まあそれもいいか」なんて漠然と考えながら意識が遠のいていきました…….
“Cava?”という声で意識を取り戻し、見上げてみると片手にカールズバーグのビールを持った仏蘭西人の酔っぱらいさんが心配してくれて声をかけてくれた模様。すかさず”Cava bien! Merci!”と答えて泥酔スマイル。国境を越えたヘドニズム原理主義テロリスト達の同志に対する麗しい友情に感謝!お陰さまで最終になんとか乗ってChris宅へ奇跡的に到着。
欧州大陸で過ごす最後の晩のディテールに関しての著述は自粛致しますがカ・ナ・リの惨状、文字通り「反吐二ストの聖戦」でした、ええ。


