« September 2005 | メイン | January 2006 »

●西方見聞録其乃弐拾壱: 最終章 : ソウル・ダイエット!

October 13, 2005

我が人生史上最強といっても過言ではないモーレツな二日酔いによる壊滅的打撃と共に目覚めた9月26日、西半球で迎える最期の朝。最期の数日間お世話になった旧友Chrisに御礼を言ってナシオン駅まで歩いて行きメトロに乗りましたが、丁度出勤途中のパリジャンにもみくちゃにされるという凄まじいラッシュに巻き込まれてしまいました。しかも口の中は胃液で酸っぱく(Pardon食事中の貴兄!)嘔吐感は電車が揺れるごとに強まる一方。しかし朝の満員電車で吐いたりしたら一生自分を許せなくなる!と全身全霊を込めて耐え難きを耐え、忍び難きを忍びました。

シャルル・ド・ゴール空港に向かう途中、アコーディオン弾きが電車に乗って来て巴里情緒溢れるシャンソンの流麗なフレーズを奏でてはいるもののこちらはホント孤独な闘いの真っただ中、とてもお金をあげるどころの騒ぎでは御座いません!また皆様も御存知の通り仏蘭西が世界に誇っていたスペイシーでかっこいい新空港ターミナル(僕も数年前に行きましたがそのデザインの秀逸さにブッ飛んだ思ひ出あり)は昨年打ちっぱなしの天井が崩落して死者まででるという大惨事で閉鎖。その為か今ではターミナルに行くのにシャルル・ド・ゴール空港ターミナル駅からバスに乗り換えなければならないという始末。しかも空港に着いたらチェック・イン・カウンタ−には100メートルを優に超える大行列!正に一難去ってまた一難!

それでも何とか事なきをえて奇跡的に飛行機に搭乗。まずはクアラルンプールまで12時間という直行便なら成田に行ける長距離経由便の旅。このフライトも文字通り「拷問」。行きはストップ・オーバーの時間が幸か不幸か7時間もあったのでクアラルンプール市内観光を2、3時間する余裕がありましたが、今回は4時間という空港ラウンジで待つにはかったるいが片道30分強の市内まで足を運ぶにはリスキー過ぎるという実に微妙な長さ。とりあえずクアラルンプール空港のトランジットラウンジの免税店でお土産等を買って所定のサテライトまで行ってみるとななななななんと!成田行のフライトは3時間遅れ!最初から判っていれば前回の様にクアラルンプール市内まで足を延ばせたのに、と悔やみつつ結果的には12時間のフライトの後、空港にて7時間も足止めを食らう羽目に。

その後約7時間かけて成田空港に着陸したのは離着陸規制時間ギリギリの10時数分前(空港近辺の住民を考慮して成田空港は10時以降は発着陸出来ないのです。なのでもし飛行機があと数分遅れていたら…….ウーム、考えたくもありません)。しかもギリギリの時間だというのに日本の税関員は執拗に厳しく、結局スーツケースを開ける羽目に。今回色々な国の空港の税関を通りましたがこんなのは初めてです。しかも最終電車すら危うい時間だというのになんとも粋ぢゃなひこの計らい。この人間性の希薄さに怒りを通り越して悲しくなりました。お陰さまでJRは終電終了。リムジンバスで新宿に行こうと並んでいたら僕の前の人で「今晩の新宿行リムジンバスは全て満席となりましたぁぁ〜」という無情の一声。結局唯一の交通手段である京成の普通電車にて日暮里まで行く羽目に。ま、これが一番安いから良いんですけどネ。

そんな訳で7月11日未明に出発してから約2ヶ月半ぶりに帝都に戻った時、時計は真夜中の12時を回っておりました〜

結局巴里を出てから30時間以上経過していました……..

*********

この79日間で訪れたのは’美と快楽主義の仏蘭西’、’触ってヤケドな伊太利亜’、’異次元空間スロバキア’、’モナムールなオーストリア’、’マヌケ美が眩しいハンガリー’、’我が前世の故郷英国’、’妙に気が合った独逸’、’とりあえず阿蘭陀’、’浪漫紀行な白耳義’の欧州9ヶ国。中にはスロバキアや阿蘭陀のように駆け足で通り過ぎただけの場所もありましたが、今こうして自宅の机で各国の名前をタイプするだけで呼吸困難になりそうなくらい目眩を覚える土地ばかり也。

今回のGrand Tourが結果として僕に何をもたらしてくれたかというとこういう事なのです;

魂のダイエット - 3ヶ月で魂を減量しませう!

心が凄く軽くなりました。だから全てのものがよりハッキリと見えます。自分にとって本当に大事なものも以前よりよく判ります、ていうかもっと正確に言うと以前より「大事なもの」が圧倒的に減りました。そして前はあんなに嫌いだった東京の通勤電車でさえ今のところ楽しく乗れています。「グッとくるもの」ってわざわざ「名所」なんて行かなくても実はとっても身近なところに沢山あるんですね。

*********

皆さん「タイムボカン」って覚えていますか?僕子供の頃よく観ていのですが、たしか最終回は色々な時代を旅しながら探していた「ダイナモンド」が実は現在の自分たちの家のすぐそばにあった事が判明した、というオチだったと記憶しています。これってちょっと素敵なお話だなってふと思いました。

*********

自分が生き残る為に必要なもの全てが小さなスーツケースで完結してしまうという簡潔な生き方こそ「自由」へ一歩近づく事なのだと悟った時、自分の精神が確実に別の次元に移行していったと自信を持って言えます。しなやかになったというかヌケが良くなったというか…..

旅(若しくは人生)において究極的には「名所巡り」とか「食べ物」なんてどうでもいいんです(とは言っても「究極的に大事でない=全く大事でない」という訳ではないですよ。美味しいものは大好きです)。(少なくとも僕にとって)一番大事なのは「人」でした。今回の旅では多くの芸術家や魂の純度の高い方々と時間を過ごさせて頂き、いい事悪い事(←同義語)色々やりました。単に自分が幸運だったのかもしれません。或は全ての責任や拘束から解き放たれたばかりの状態にあったせいでいろいろな事象が「グッと」きただけなのかもしれません。元々楽観的な上に躁状態が重なって眼に入って来る何もかもがハレーションを起こしていたのかも…….以上全て認めます。

でもジョン・刑事もとい形而もとい啓示もといケイジもいみじくも語っていた様に;

I have nothing to say
(言うべき事は何もない)

But I’m saying it
(しかし私は今"それ"を語っている)

That is poetry
(これぞ「詩」也)

なんかとりとめがなくなってきました。「ネットに上げる文章にしては長過ぎる」といつもお叱りの言葉を頂いております故、今回はこの辺で自粛させていただきます。

ダイエット直後だから言えるのかもしれませんがお腹の周りの脂肪を気にするよりまずは魂の周りの脂肪に気をつけたいものでございます。

乱文誠に申し訳ございませんでした〜

« September 2005 | メイン | January 2006 »

●西方見聞録其乃弐拾: ヘドニストのジハード(快楽主義者達の聖戦)

October 02, 2005

9月23日金曜日朝、友人混沌(= Quentin)とちんちん電車の停留所で別れてユーロスターに飛び乗り、一路今回のロマン紀行最後の巡礼地である花の都巴里へ!この日はJAPレーベル・メイト、Franckのお友達でミュージシャンのBenjaminと昼過ぎにバスティーユ広場で待ち合わせているのですが今やこの二つの都市間の所要時間は若干1時間20分!日帰りも全然可能なんですね〜。

で、このベンジャミン、フランクを通じで彼の音楽だけ聴いた事があるのですが(まだこの時点ではメエルのやり取りだけで直接逢った事なし)一聴して「この人天才!」。

******

今回色々御世話になったCANのIrmin Schmidt師は初めて聴くCDとか大体さわりをちょっとしかかけません。いみじくも「最初の16小節、或は15秒位聴けばそのミュージシャンの器量は大体推し量れる」と仰ってました。僕も仕事柄そんな聴き方しかしませんが、実にその通りだなと今更ながら痛感しています。多くの”自称”ミュージシャン、そして”自称”音楽ファンは曲の中で一番大事なのは所謂「サビ」の部分だと思っていますがこれは大きな間違い。「聴かせ所」と「最重要部分」は違うのです!オープニングに何のエネルギーも感じられない作品、そして最初に握手したときに何のエネルギーも感じられない作曲家はほぼ100%音楽的にも人間的にも大した事ないです。

******

ベンジャミンの作品、友人・知人の創った音楽でこれほど衝撃を覚えたのは初めてといっても差し支えなく、以降自分のラジオ番組Massiveloopでもハードローテーションでプレイしている他、かつて選曲を担当していたTokyo FMのPrime Time Radioでも何度かかけたりしました。番組のDJだったジョージ・ウイリアムスも彼の音楽にもの凄く感動して「是非国際電話で繋いでゲストに呼ぼう!」なんて言っていた程。なのでこの出会い、僕にとっては大好きなミュージシャンに逢う、みたいな心境なのです。

ホドロフスキー老師と逢った時以来2週間以上ぶりの巴里、またまたピーカン空で迎えてくれました。で予定より早くバスティーユに到着してスーツケースをごろごろ転がしながらバスティーユ広場で時間潰し。東京を出る前はこういった「無駄な時間」が本当に嫌いだったのですが、長い旅を経た今は全然苦にならなくなった自分がいるのに気付きました。兎に角、時間がすこしでも無駄になるのが嫌いで電車や信号とかでもギリギリ間に合わなかったりするともの凄くイライラしたのですが、やっと些細な事では侵される事がない心の平安が少し得られたような気がします。

しかし待てども待てどもベンジャミンらしき人は現れず、携帯に電話をしても留守電のまま。ギリギリまで待ったのですが次のアポがあったので結局その場を去る事に。かくして次の目的地は巴里で最もお洒落なラジオ局、Radio NOVA!住所をあてにやってくると表からは何の看板も出ておらず、お店かレストランの勝手口みたいな雰囲気。何度も前を行き来して「本当にここなのか?」と思ったりしましたが、住所を見る限りここ以外ありえないので「えい!」っと入ってみると中庭にやっとこ見慣れたNOVAのロゴが!かくして仕事で何度かお世話になったMarc氏と初対面を果たし、NOVAのスタジオとかを色々と見せていただきました。その後またまたコーディネーション等でよくメエルや電話のやり取りをしているBintou女史も合流して三人でおランチ。近くのカフェで食べたのですが勤務中でも普通にワインやビールを飲むのが話の分かるパリジャン。この時いただいたサラダもスバラシイ!っていうか仏蘭西のサラダは世界一ですね。「たかがサラダ云々….」と言われる方は是非サラダ宗主国(?)仏蘭西にてお試しあれ!

その後NOVAに戻りMusic Directorの人と会ってJAPのCDを渡したりとかプチ営業活動をしているといきなりNOVAにベンジャミンから電話があり、「今近所にいるから直接NOVAに来てもいいか」との事。かくしてNOVAのレセプション・ホールにて初めて出会ったベンジャミン - 長身にボロボロのジャケットとスラックスを纏い、いかにもピアニストらしく猫背。凄い眼力の落ち着きのない目の持ち主で逢う人全員に’Bon Jour’ と声をかける姿がとても「セトギワ感」溢れていて印象的。待ち合わせに来られなかった事を僕に詫びた後で理由を説明してくれました。どうやら彼は今巴里ではなく独逸の国境に近い仏蘭西東部に住んでいてこの日は朝早く車で来たらしいのですが、途中で警察に止められ、もう7年以上前から運転免許証が無効になっている事がバレてずっと警察署で絞られていたとの事。丁度僕が電話した時は警察の尋問中で電話が取れなかったんだ、と説明してくれました。

その後二人でバスティーユ広場近くのカフェに座りビールを飲みながら色々話をしました。僕がどれほど彼の音楽が好きかと言う事を説明すると照れくさそうに「ありがとう。でも僕は何でも詰め込みすぎる傾向があるから音を整理してくれるパートナーが必要なんだ」と。今はどんな曲を創っているの?と訊くと「ロックとダンス・ミュージックを融合したような…..言ってみればMichael JacksonのBilly Jeanの現代版みたいなものを創ろうとしているんだ。Billy Jeanは凄い作品さ。あの曲のコード拾った事あるかい?あの曲の凄さはギターやピアノで和音を弾きながら自分でメロディを唱ってみて初めて判るんだ。マイケルのメロディ感覚はモーツァルト並だよ」との答え。マイケル・ジャクソンを天才と賞賛する人って100%信用出来ます。巴里は好き?という質問に対しては「巴里の女の子は好きだね」との返事。会話中も女の子が通るたびに必ず目線がそっちの方に泳いでいるベンジャミン。すぐ我に帰ってニコニコしながら「俺は’Horny Bastard’さ」。確かに巴里は(プレゼンが)美しい女性、多いですね。「究極的には美とは不快なものさ。ランボオの”地獄の一季”の最初の部分に「ある日僕は美を膝に乗せた。僕は彼女を苦々しく思った」という下りがあるけど今程それを強く感じる時はないね」と僕が言うとベンジャミンは「うん。美というものは水と火の元素から成っているんだか、つまりは相反する要素で創られているものだからね」との答え。不快で残酷なものに心を奪われるのは不思議な快楽ですね。また楽器は?と訊いたら「ピアノ、ギター、ベース、ドラムス。僕は凄くいいジャズ・ピアニストなんだ」との答え。奢りが一切感じられず本当の事を率直に言っているだけなんだという事がすぐ判ります。子供のときから音楽を習っていたのですが14歳の頃楽典知識は自分の音楽にとって邪魔だと感じ、以降「忘れるように」しているらしく「楽譜なんて時代遅れの表記法だ」と語っていました。「今ボクにとって一番大事な楽器はこれさ」と自分のSony Vaioを指差して語るベンジャミン。

冷たいビールが美味しい!

そんなこんなで話は尽きる事がありませんでしたが、この日の晩は生まれたばかりの子供の世話をしに彼女の家に行かなければならないとの事で日曜日にもう一度逢う事を約束してベンジャミンとは別れました。その後倫敦時代からの友人Chrisに連絡して彼女の家に向かい荷物を降ろした後、サン・マルタン運河の畔にある「北ホテル(Hotel du Nord)」へ晩餐に。1938年に制作された岩波ホール系名画「北ホテル」の舞台となったところですが、今はバー・レストランとして営業しています。外観は当時の佇まいを残しており凄く雰囲気はいいところですがクオリティの割にはお値段やや高め。

食事の後はNOVA主催のクラブ・エベントに出動!Chrisは疲れていたようなので僕一人でペール・ラシューズ墓地の裏の方にあるクラブへと行きました。”Who stole the soul?”という名の通り一応音楽はファンク&ソウルという事でしたが夜も進むにつれてどんどんガラージに。この辺はある意味判りやすい展開ですよね。12時半位から客も入り始めてかなりの盛り上がり!

ウォッカのショットとかを飲んでいい感じに酔っぱらったところで ”朝までコース” はちょっと………と思い徒歩で帰宅を決意。泊まっているChrisの家はペール・ラシューズ墓地からナシオン方面に歩いて30分程度のところにあるモンガレイ地区。ペール・ラシューズ墓地とナシオン広場を一直線に繋いでいるアウ゛ェニュー・フィリップ・オーガストを夜中の3時過ぎにふらふらと歩きながらいよいよ残り2日余りとなった長かったようで短かったようで長かったような短かったような僕の欧州大陸の放浪を振返ってみました。

飛行機の予約も支度もぎりぎりまでせず最後の最後まで「本当に行けるのか?」と思いつつ何とか巴里にたどり着いたのがもう2 ヶ月半も前。正直最初着いた時は疲労が極限状態だったのに加えて酷暑と夜な夜な宿泊地が変わるという無計画さも相まって本当に「巴里の憂鬱」状態。方位学的にもあまりいい方向ではなかった今回の旅。そのせいかも、なんて思った時もありました。でも旅が進むにしたがってどんどん気運が上昇。あらゆる美しい出来事が予定外に起き、また世にも稀な純度の高い魂の持ち主達とも数多く逢えた我が放浪。結果オーライ100%完璧な旅でした。自分が生き延びるのに必要なものは全て小さなスーツケースに収まっているという事を実感した瞬間!これは仏教用語の「小悟」という言葉を借りるより他表現のしようがありません。この絶対不可侵な自由と共に僕は残された人生を生きて行くんだ、と決心した瞬間、眼の奥の方より熱い感情が込み上げてきました。薄着でも歩ける暖かい巴里の秋の深夜、本当に森羅万象に感謝出来る時間が持てました。

翌24日のお昼はリヨン駅の近くにあるサルディーニャ料理のお店へ。自家製ラヴィオリを頂いたのですが、これが「昇天もの」。素晴らしい味の芸術作品で御座いました。しかも僕らの隣には仏蘭西人俳優であのモニカ・ベルッチの夫であるVincent Casselが食事をしています。なんでも噂によるとここはモニカが巴里で一番お気に入りのレストランだとか。どうりで美味しい訳です。でも願わくばモニカに逢いたかった........

お腹が幸せになった後は自己流観光。まずは第六区にあるオスカア・ワイルド終焉の地、L’hotel。それからその直ぐ近くにあるセルジュ・ゲンズブールの家へ。セルジュの家があるのは革命以前から続いている貴族とかが住んでいるというセーヌ川に程近い高級住宅街。そこに忽然と現れる場違いなもの凄いグラフィティだらけの家。でもそれは単なる「落書き」を超越し、システィーナ聖堂のミケランジェロのフレスコ画にも似た巡礼者達による宗教的「コラージュ壁画」。

その後は今回の旅で不思議と縁のある霊界分譲住宅地訪問。この日はモンパルナス墓地にてサルトル、ボーボワール、ゲンズブール、そしてボードレールの墓前を訪れました。御墓参り後はかつてピカソ、コクトー、マチスやF・スコット・フィッツジェラルド等が常連だったというモンパルナスのCafe Selectでチルアウト。最初はカフェ・オーレでも頼もうかと思っていたのですがF・スコット・フィッツジェラルドがかつて来ていたと思うと「アルコール以外を飲んでは失礼ぢゃなひか!」

そんな訳で往年の時代より殆ど内装はそのままというCafe Selectを出るときにはすっかり出来上がっていた僕。そのままサンジェルマン・デ・プレにあるギリシャ料理のお店でChrisと彼女のお友達と合流。美味しいギリシャ料理とギリシャ・ワインでエピキュリアンなひとときを満喫。

翌日は欧州滞在最後の日、という事でとりあえずBenjaminとTomo@parisさんに連絡して逢おうと思っていたのですが行き違いばかりでなかなか連絡取れず。結局この日の午後はバスティーユ近くのカフェでワインを飲みながら書き物をしておりました。

Tomo@parisさんと連絡が取れたのはその日の晩。「今からでも御飯食べに来る?」というお誘いでサンジェルマン・デ・プレにあるTomoさんの素敵なお宅にお邪魔。Tomoさん手作りの美味しい料理をいただきながらワインをぐびぐびと。80’s音楽に造詣が深いTomoさん(本当に求道的とさえ言える程よく御存知ですよね)、相当なぬいぐるみコレクターでもあるのですが80’s激レア・アイテムもお部屋の隅々に見受けられます(写真3参照)。

その辺の話題で盛り上がりいい感じにお酒が回って来たところで時計の針は12時を指している事に気付きおいとま。僕が出る前Tomoさんしきりに「大丈夫?」と訊いてきて僕は「全然大丈夫ですよ!」と元気よく答えていましたが道を歩いていてTomoさんが何であんなに心配していたか判りました -「これってもしかして千鳥足ってやつ!」

お酒は好きなれど所謂「完全泥酔」で「潰れる」に至ることは殆どない僕ですが、この時はちょっとヤウ゛ぁかったですね〜。かろうじてメトロのOdeon駅にたどり着き、4号線に乗ってStrasbourg-St. Denis駅で9号線に乗り換えるのですが、9号線のプラットフォームでベンチに座って電車を待っていたらマジで動けなくなってしまい、刻一刻と終電の時間が近づいているにも関わらず電車を2本ほど御見送り。「このままここで一晩過ごしたら明日の飛行機にはまず乗れないよな…..まあそれもいいか」なんて漠然と考えながら意識が遠のいていきました…….

“Cava?”という声で意識を取り戻し、見上げてみると片手にカールズバーグのビールを持った仏蘭西人の酔っぱらいさんが心配してくれて声をかけてくれた模様。すかさず”Cava bien! Merci!”と答えて泥酔スマイル。国境を越えたヘドニズム原理主義テロリスト達の同志に対する麗しい友情に感謝!お陰さまで最終になんとか乗ってChris宅へ奇跡的に到着。

欧州大陸で過ごす最後の晩のディテールに関しての著述は自粛致しますがカ・ナ・リの惨状、文字通り「反吐二ストの聖戦」でした、ええ。