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September 29, 2005
●西方見聞録其乃壱拾九: ハートの形をした街 - 混沌と共に呪われた詩人達の足跡を追って
いよいよ伯林出発となった9月19日月曜日。朝四時という普段ならまだ床にすら就いていないような時間に起床。お世話になった友人アレキサンダーと一緒に彼の小さなキッチンで最後の朝食をいただいてSchoenefeld空港へと向かいました。まだ表は真っ暗。朝というよりむしろ「真夜中」といった趣き。最後まで大丈夫だと言ったのですが結局空港のそばの駅まで一緒に来てくれたアレキサンダー。「今度絶対に作品を一緒に創ろうね!」とお約束してお別れしました。
かくして次の目的地は「欧州の首都」ブリュッセル!しかし飛行機の到着地はヨーロッパ通貨統一の舞台となった阿蘭陀の街マーストリヒト。「マーストリヒト条約」で有名な所ですね。ここからブリュッセルまでは約1時間半かかる上、出発も朝の7時15分と悪条件てんこ盛りですがそれもその筈、このチケット、なんと4ユーロ(約542円)という破格の安さ。実際は空港税や燃料税がこれに加算される(さすがに税金の価格破壊はありません)のでこれに約20ユーロ(約2,710円)程上乗せされますがそれにしてもあり得ない安さ、っていうか「絶対モト取れてないだろ!」。
なにはともあれマーストリヒトに着くと「寒っ!」。あと何気に阿蘭陀って英語表記少なくて大変。それでもなんとかバスに乗って9時過ぎにマーストリヒト駅に到着。電車の切符を買ってからブリュッセルで御世話になる予定のQuentinに電話をすると眠そうな声で「アロー?」どうやら最近亡くなったお祖父ちゃんの家に前の日の晩行って一人で一晩中大音量で古いショパンのレコードを聴きながらキャビネットにある酒をランダムに飲んでべろんべろんになっていたとの事。普段は元気一杯なのに珍しく覇気のない感じでしたがそれでも御昼過ぎにブリュッセル中央駅で待ち合わせをしました。
このクウェンティン君は西方見聞録其乃六でも言及した友人Danielを通じて知り合ったお友達。去年日本に来た時家に泊まっていたのですが結構波長が合ったんです。芸術家肌で純粋で浮世離れしていてそのくせアンガージュモンしている所なんかとてもDanielに近いものを感じます。そんなクウェンティンとブリュッセル中央駅で合流してブリュッセル旧市街をそぞろ歩き。その間小便小僧の前で2ショット!その後、前の日に引っ越したばかりというクウェンティンの新居へ。
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彼のアパルトマンはベースメントながら大きさは40平米はあろうかという一人で住むには十分過ぎる広さ。床が可愛いタイル張りで古いアップライトピアノが暖炉の横に置いてあったりします。最初家賃は80ユーロ(約10,837円)と聞いて「週で?」と聞いたら「月でだよ」!伯林も生活費&家賃は破格でしたがブリュッセルはそれを上回る安さ。4階立ての世紀末退廃デコレーション仕様の立派な庭付きお家が月1,000ユーロ(約135,468円)で借りられるんですよ!
何か家賃の話ばかりで恐縮ですが、エンゲル係数って文化(特にオーガニックなユース・カルチャー)と実はかなり密接な繋がりがあると思うんですよね。
でもここも予想通りシャワー&給湯器無し!しかもトワレは外にあるという完全な19世紀仕様。幸い彼のお祖父ちゃんのアパルトマンが徒歩3分の所にあるのでここでシャワーを浴びる事が出来るのですがそれにしてもここもボヘミア〜ン♪
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その後引っ越しをしなきゃいけないと言って出て行ったクウェンティン。その間僕はお留守番&執筆活動。一時間以上経った後、街の反対側に位置している彼が以前スクワット(違法占拠)していたというアパルトマンから途中にあったスーパーマーケットから「借りた」というショッピング・トローリーを押して戻ってきました。鍋やソファーや布団や洋服を目一杯積んだショッピング・トローリーを押して欧州の首都を片道30分以上かけて横断するクウェンティンの勇姿!シビレます。
帰って来て開口一番「警察にジロジロ見られてちょっと怖かった」そりゃそうでしょ!っつ〜か職質されなかったのはラッキーだったんぢゃなひ?。ショッピング・トローリーは「また明日も使うから」といって家の前に置きっぱなし。このトローリーが結構気に入っているようで何度もニコニコしながら指を指して”My car!”と言っていました!
この日の晩、二人で食事をしに外へ出かけると「混沌!」という叫び声が!振り向くとそこにはカフェでビールを飲んでいるフーテンな無頼漢の集団が(Quentinを"クウェンティン"と読むのは英語の発音なんですね。最初仏蘭西人に”クウェンティン”といっても”誰?"って感じの反応だったので、すかさず"こんトん"と言ったら"Ah,OK. こんトん!"とすぐ納得)。なんでもかつて混沌が在籍しておりそこそこ有名だったベルギーのバンド、Orange Kazooのメンバーの人達。みんな髪の毛も髭も伸び放題で手も顔も汚れまくり。服も「無頓着」としか言いようがないかなり「セトギワ感」溢れる方々でしたが、話をしてみると実は西方見聞録其乃四でも書いた前衛戯曲、”Je suis Sang”の作家、Jan Fabreの友達だったり結構マジでインテレクチュアルなソサエティのメンバーの方々。ビールがどんどん進んで我々が囲むテーブルの上はあっという間に空のビール・グラスで一杯に。更にその少し上空には目も口も手足すらもない新しい「生命」が空中遊泳。お店の人も表で大声で話す僕らを嫌がるどころか逆に気前よくチーズとか食べ物を次々に僕らにサービスしてくれます。"裾が霧のようになった"上着や外套を纏い、酔い潰れる寸前で理性が綱渡りする中、哲学&芸術論をカフェで闘わせるという何ともオールド・スクールで美しい貧乏芸術家&音楽家の姿 - この絶滅しつつあるベル・エポックな情景はどんな歴史的建物よりも異国観光情緒に満ち満ちております。
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欧州の街の殆ど全てがそうであったようにブリュッセルもまた中世の頃は城壁都市で今でも地図を見ると城壁がどこにあったか直ぐに判ります。街の中心部はその城壁跡内ほぼすっぽり収まってしまうのですが、この城壁が丁度ハートの形をしているのです。だから:
"ハートの形をした街"
(っていうかどっちらかといえばホームベースに近いのですが野暮な事は言いっこなしという事で)
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翌9月20日火曜日はブリュッセル市内のアール・ヌーボー建築見学。アール・ヌーボーの建物は50、60年代には人々に「醜い建物の見本」のように疎まれその多くが取り壊されているのですが、それでもブリュッセルには世界のどの都市よりもアール・ヌーボー建築が多く残っているそうです。ブリュッセルの建築物は19世紀後半から20世紀前半に建てられたものが主流ですが、この街の摩訶不思議な所は通りごとに建物が規格統一されておらず、ほぼ同じ時代に建てられたものばかりなのに建物個々のデザインや建築資材がかなり異なっているという点。これは欧州の他のいかなる都市とも違っています。仏語には「ちぐはぐな建築デザインで都市の景観を台無しにする」という意味のBruxifyという動詞まであるとか。かの仏蘭西の詩人ボードレールもブリュッセルに何年か滞在していた時期があったのですが、彼は「住民は教養がなく、臭く非衛生的で醜い街」とブリュッセルを忌み嫌っており、如何に、そしてどうして自分がブリュッセルをこれほど嫌いなのかという事を延々と書き綴った本まである程。でも僕は逆にそこに自由な空気を見い出せて好きです。ある意味伯林もかなりBruxifiedされた街でしたが、伯林の場合、戦前と戦後の建物が入り交じったりしている点でなんとなくその歴史的背景から現状の理由が見えてくるのですがブリュッセルのこの状態は本当に「天然」としか形容のしようがありません。でもやはりThe world’s most bruxified city(世界で最も天然なアーバン・ランドスケープ)の栄冠は我らが'大阪(旧姓'東洋のベニス大坂')'、次点'花の大東京'に捧げたいと僕は思います。
21日水曜日は東京でも一度逢った混沌のパパと三人でベルギー伝統料理を食べに出かけました。最も一般的なベルギーの田舎料理は牛肉をビールで何時間も煮込んだものにフライド・ポテトを付け合わせるというもの。これは偏食主義者の僕にはちょっと難しいので野菜を炒めたものにフライド・ポテトという組み合わせでベルギー・ビールと一緒に頂きました。
ブリュッセル滞在最後の日となる22日木曜日はお昼に混沌の家の近所で再びベルギー伝統料理(?)揚げたてフライド・ポテトをゲット。Mサイズの筈なのにLLと言われても納得のいく量。ベルギーではケチャップではなくマヨネーズで頂くのが主流なのでそれも頼んだらもの凄く気前良くぶっかけて頂きマヨネーズ・シチュー・ア・ラ・ポテト状態に。優に1,000Kcalはあろうかという恐るべき油の量でしたがちゃんと残さず食べました。
インターネット・カフェでメエル等をチェックした後、混沌と待ち合わせているハート形の街の真ん中に位置する目抜き通りBoulevard Anspachにある証券取引所前へ。合流した後、混沌が「観光」でヴェルレーヌ
この四角い広場の4つの角の内3カ所にカフェがあります。二人で「この中のどれかでもしかしたらランボオとヴェルレーヌは飲んでいたのかもしれないね」なんて話していたら混沌がだんだん興奮してきて「カフェのオーナーに訊いてみよう!」
という訳で最初は歩いて来た北の方向から向かって左奥にあるカフェへ。「ここで二人はベロンベロンになって事件が起きたのかも」と期待に胸膨らませて入ってみると50年代、60年代のスポーツ写真が壁一杯に飾ってあり内装もかなり50’sな天然系のお店。とても文学の香りがする場所には見えません。バーにいるおじさんに混沌が仏語で話しかけると「あの隅に座っている男に訊け」と喧嘩で交通事故かで顔が半分”破損”しているムッシューを指さしました。その人に同じ質問をするとダミ声で「だれだっ、その”ランボオ"って奴は?俺はこの土地に50年以上いる言わば"生き字引"だぜ。この辺の奴らの事なら皆知ってるがそいつらの名は聞いた事がねえ」との返答。どうやら常連の客の事を話していると勘違いしている様子。
次のちょっと40年代っぽいレトロな内装のカフェに行って同じ質問をバーのおばさんにするとやはり狙撃事件はおろか「アルチュール・ランボオ」と「ポール・ヴェルレーヌ」の名前すら聞いた事ないらしいです。
一番高級そうな3つ目のカフェでも従業員及び常連客に訊いてみましたが、やはりだれも「そんな事件聞いた事ない。”ランボオ”って誰?」と異口同音に。
ボードレールが「教養のない市民云々…」となじってこの街を嫌ったのもあながち感情論だけではないかも、と混沌はため息まじりにポツリ。「駅からもあまり近くなさそうだし、もしかしたら場所が違うんぢゃないの?」と僕が言うと「いや、ここで絶対に間違いない筈だ!」と混沌。
最後の角にはそれほど古くなさそうなホテルが建っています。二人で顔を見合わせてから一抹の望みを託してホテルへ。フロントには若い女性が立っています。”Excuse moi, mademoiselle”と混沌が同じ質問をします。仏語を解さない僕は二人のやり取りをじっと見守っておりましたが、二人の表情から判断するに手応えのあった予感。
5分程話してから御礼をしてホテルの表に出た後、混沌が一息ついてから僕の方を見て「やっぱりここだったよ!」このホテル、19世紀当時はカフェだったそうです。1873年7月10日ヴェルレーヌ及びヴェルレーヌの母親、そしてランボオの3人が汽車を待ちながらそのカフェで飲んでいたのですが詩人の二人は程なく泥酔。この前の歩道でヴェルレーヌはランボオに3発発砲し、その内の一発がランボオの左手首に命中したのです。またこのホテルの向かいにある道だけ他の道より不自然に広いのですが、実はそここそかつてMidi駅があった場所で、この噴水は昔の駅前ロータリーだったのです!
その日はその後ずっとこの話題でずっと盛り上がり。夜は混沌のお友達のバンドを観に行き、ライヴの後ミュージシャン達も交えてずっと飲んでいると閉店直前にバーによる「ビール無料」の粋な計らい!当然皆で飲みまくり。
いい感じに酒が回ったハート形の街での最後の夜、締めは”Cheers to Rimbaud and Verlaine!”
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あ = 黒
い = 赤
う = 緑
え = 白
お = 青
母音よ...
「あ / a」の色?
それは異臭と番い飛び回る銀蝿が腰に巻く
毛むくじゃらビロードのコルセットの「黒」...


