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September 09, 2005

●西方見聞録其乃壱拾伍: Oscar et Alejandro - オスカアとアレッハンドロ

あまりにもアットホームな雰囲気でそれまでのセックス・ドラッグ・アンド・ロケンロールな旅の反動が一気に噴出したのか本当に倫敦滞在中は実に健康な日々を送っており(体重も若干増えたかも)皆様と分かち合う価値があるネタはあまりありません。故に日記は一時停止状態。でもお陰さまで元気です。

にもかかわらず予定より1週間以上長く滞在してしまった第二の故郷、倫敦を去る決意をして巴里行フライトを予約しようとしたら…ななななんと!通常運が良ければ50ポンド(約10,122円)以下で入手出来る格安チケットは完売(希望出発日の2日前では無理もありませんが….皆様も御予約はお早めに)。巴里迄片道なのに100ポンド(約20,244円)以下のチケットはほぼ無くユーロスターも149ポンド(約30,164円)という新幹線より立派なお値段。先月のクレジットカード引き落しが史上最高の17万円を超えてしまった後だけにちょっとまずいなと思いつつ、しかしどうしてもこの日に巴里に行かなければならなかったので(理由は後述)他に方法はないかと色々検索していると....... 倫敦-巴里片道特別価格17ポンド(約3442円)という破格のチケットが見つかったのです。しかしよく見てみるとCOACH(鞄屋さんではありません、長距離バスの意で御座います)で所要時間は怒濤の9時間!飛行機なら1時間弱の距離なのに….と思いつつ背に腹は代えられぬと断腸の思い(?)で!

"ポチッとな"

かくして当日は朝の5時に起床して長距離バスで巴里への陰鬱な旅。しかし前日散々ブルーだったからかいざとなってみると思った程辛くはなかったです。「気分」って結構主観的なものですよね〜♪。ドーバー海峡は船かと思いきやなんと巨大な貨物列車にバスごと乗せられてユーロ・トンネル経由。バスが貨物列車に乗って行く様はプチ戦隊もの状態。「合体」という言葉がぴったり!

かくしてほぼ2ヶ月ぶりに戻って来た花の都巴里。一日目は倫敦時代の友人Chrisとナウでヤングなパリジャンが集う街、バスティーユ地区のそこそこお洒落なカフェにてサクッとお食事(しかし気がつけばワイン2本も空けてるし......)。翌朝は早いので適当な時間で切り上げてホテルに戻りました。

翌9月7日水曜日。慣れない早起きしてまでやりたい「とある事」というのが今回僕が巴里に立ち寄った最大の理由なのです。それは西方見聞録其乃七で著述した友人Tootsが教えてくれた僕がフェリーニより小津よりキューブリックより偏愛している異端映像の魔術師、アレッハンドロ・ホドロフスキー老師がやっているという噂のタロット占いに行く事。ホドロフスキー老師、毎週水曜日に巴里のとあるカフェで一回につき20人までタロット占いをしてくださるのです。お金は一切頂かないらしく条件はただ一つ、「一ヶ月後にホドロフスキーに手紙を出す事」。この話だけで彼の人となりが伝わって来て涙が込み上げてきますが、とにかく予約するには朝7時にこのカフェにいって整理券を貰わなければならないという事で用意周到にくだんのカフェから徒歩1分(ていうか窓から見えました)のところのホテルの部屋までとって目覚ましも到着早々セット!ところが「どんな質問をしようかな」「なんて挨拶しようかな」なんて色々考えていたらあまりにもワクワクし過ぎて全然眠れなくなってしまいました.........

明け方ややうとうとして目覚ましの鳴る5分前にはキチンと起床。さわやかに目が覚めて髭剃ってシャワーを浴びてからくだんのカフェに足を運んでみると!

タロットのタの字も感じられない雰囲気。客もまばらでギャルソンが仕事に勤しんでいるだけなのです。それらしき事が壁に書いてある訳でもなく、なんか「あの〜ここでタロット占いなんてやっていますか?」なんて聞くだけで変人扱いされそうな空気。

「結局昨日の夜は訊きたい質問も考えられなかったしぃ〜、アレッハンドロは今マリリン・マンソン主演の映画を撮影中で巴里にはいない可能性が高いってTootsも言ってたしぃ〜、縁がなかったのかな」と思いカフェ・オーレとクロワッサンだけ食べて(美味)一応気になるのでもう一回だけ夜ちょっと顔出してみる事にしてそのカフェを後にしました。

因に後で気付いたのですが仏蘭西の国境を超えた時点で腕時計の時間は変えたのに(英国は他の西ヨーロッパ諸国より一時間時差があるのです。へそ曲がりの英国人、憎みきれないろくでなし〜)、目覚まし時計は英国時間のままだったので、実は知らずに一時間遅刻していたのです!南無三….

別に巴里に観光で来た訳でもなく、今回は時間がないので友人にもまともに連絡もとっていなかったので昼間は一人でだらだらと巴里市内を散歩。そうこうしているうちに気がつくと巴里最大の霊界分譲住宅、ペール・ラシューズ墓地の前におりました。

ここはドアーズの故ジム・モリソンやショパンをはじめ多くの著名人が眠る墓地。その中には僕が最も愛している19世紀耽美主義の作家で或る意味 "人類史上最初のメディア・スタア" であろうオスカア・ワイルドもいるのです。

僕が未だにロンゲ党なのも、スタア性のある人が無条件に好きなのも、パラドックス・フェチなのも実はオスカア・ワイルドの影響であるという位本当に大好きな人なんです。彼の墓参りには去る1999年に一度来ています。霧雨が降る肌寒い秋の巴里、オスカアが生前最も愛していたという白い百合の花たばをもって広いペール・ラシューズの中を殆ど迷わずに墓前に行きました。

この日は前回とはうって変わって9月だというのに気温は30度以上。文字通りピーカン空の下、またまた不思議と迷わずあっという間に"思ひ出ほろほろ"なスピリチュアル・スポットに6年ぶりにたどり着きました。今回オスカアの墓石には無数のピンクのリップスティックのキスマークによるファンシイなデコレーションが!「男色家の彼が喜ぶのか?でも愛は伝わるよね」なんて思いつつお墓の前に腰を下ろしました。

木漏れ日すらも肌に針のやふに突き刺す炎天下、バゲットとチーズを食べながらビールを飲んでそれはそれは長い長い長い長い長い間オスカア・ワイルドの墓前に座っていました。ほんと、「偏愛」、バカですよね。でもいいんです。これが「至福」なのですから。ほんと、どうしようもない位好きなんですよ、ええ。

時々観光客が来ては写真を撮って去って行く、そんな状況をアルコールがいい感じに回っているうつろな目で見守りながら生温くなったビア酒を煽っていると管理人と思しきおじさんがなにやら語りかけてきました。どうやら墓地内ではアルコールを飲んではいけないと言っている様なので’Okay, okay.’と言ってその場を立ち去る事に。

以降巨大なペール・ラシューズ墓地をさまよう事数時間 - その間偶然見かけたのがサラ・ベルナール(←この人も凄く惹かれます。カッコいい女性ですよね)、エディット・ピアフ、そしてイヴ・モンタンのお墓。またここには第二次世界大戦中強制収容所に連れて行かれた多くのユダヤ人の鎮魂碑も建立されていたり(写真2参照)、1871年に世界史上最初の純粋共産政体、パリ・コミューンの勇士達が命ある限り抵抗を続け、最後にこのペール・ラシューズ墓地に逃げ込み一番奥に或る乗り越える事は不可能な壁の所迄追い詰められて全員射殺されたという場所があります。この壁は現在世界中の共産主義者/社会主義者/理想主義者が花を捧げにやってくる巡礼の地と化しており、この日も多くの花が添えられておりました。

しかし前回と同じく結局ジム・モリソンのお墓は見つけられずじまい。

本当に「メーク・ドラマ」なエピソード満載で、墓地というよりもむしろ博物館、もしくは「一冊の本」といっても差し支えないであろうここペール・ラシューズ墓地を後にしたのは午後6時即ち閉園ギリギリの時間。そのままホテルに一旦戻るとなんとエレベーター故障中!六階(注: とは言ってもこちらでは一階はGrand Floorなので日本流に言うと七階)の部屋迄螺旋階段を歩いて上がって行きました。一日中歩いた後だったので膝が言う事を聞いてくれずしんどかったです。それでもシャワーをサクッと浴び、ちょっとチルチルしてまたくだんのカフェに足をしげしげと足を運ぶのでした。

カフェに着くとどうやら奥の方に人集りが!「もしや」と思い店内へ….

横に長くくっつけられたテーブルの奥の真ん中に見た事の或るロマンス・グレーの髪が!そのすぐ近くにあるバー・カウンターに半身でよりかかり赤ワインをオーダーし凝視してみると!

胸の奥からレッドホットな「何か」が込み上げてきました。2005年9月現在健在の芸術家の中で一番、本当に世界で一番逢ってみたかった人がそこにいるのです!南米チリ生まれのロシア系ユダヤ人。旧大陸&新大陸を点々とした後(1960年に仏蘭西のパントマイム師、マルセル・マルソーと一緒に来日している)、60年代に「エル・トポ」という名作を世に出しました。チャクラが蛤のやふに閉じきっている批評家には酷評されながらもジョン・レノンを始め理解ある一部の人々からはこの作品狂信的に支持されたのです。にもかかわらず絶対に芸術をないがしろにしないその姿勢が結局映像作家としての彼のキャリアのとって致命的なダメージとなり映画業界に不当としか言いようのない扱いを受けた挙句、今では巴里で隠遁生活を送っている - そんな波乱の人生を歩み、世界中を難破船のようにたゆたえてきたアレッハンドロ・ホドロフスキー老師がいま僕の眼前に!

芸術作品において「完成度」の追求がどれほど無意味な事か、いや、ちょっと違いますね。本来作品の中で目指すべきは「手法的完成度」ではなく「精神的完成度」であり、その為にはルールなどというイデア自体お話にならないぐらいナンセンスなものだという事を僕に作品を通じて悟らせてくれた人なのです。

長テーブルの真ん中に鎮座して終始にこやかに世界中より僕の様に彼を訪ねてはるばるやってきた人達にタロット・カードを通じてお導きの福音を宣っているホドロフスキー老師のその姿は正に「最後の晩餐」におけるイエス・キリストを彷彿させました。本当に「後光」が見えましたよ。

タロット占いの間、ずっとカウンターで様子を見ていました。途中からやってきたChrisは「日本からはるばる来たんだって言ってやってもらえば」と言ってましたが僕は「いや、今回はいいんだ」といって淡々とワインを飲み続けました。仕事柄所謂有名人に逢う機会は多い方だと思うのですが、何を隠そう僕はこういうセレブな方々に話しかけたりサインをもらったり一緒に写真を撮ってもらうという事が本当に苦手というかあまり好きではないのです。同じ人間のレベルでコミュニケートしていないような気がするんですよね、跪いているというか。だからどんな人にも取材とかで逢うよりパブとかバーでとかパーティーで偶然逢って自然に話しかけるっていうのが僕的には最も理想的な平等な地平線に立った人間同士のコミュニケーションのスタイルなのです。

しかしタロット占いを終えてホドロフスキー老師が立ち上がりその場を去ろうとした瞬間、僕の中の何かが「今彼に話しかけなかったら一生後悔する!」と囁いたのです。そうなると考えるより先に足が動いていましたね〜;

Ken: Excuse me. Do you mind awfully if I had a photograph taken with you?
Jodo: (smiles) Okay, okay.

なんで「写真」だったのかは自分にも判りませんがとりあえずミーハーなツーショット撮影には成功しました。少し急いでいる様だったので本当に一言二言言葉を交わして終わったこの刹那な出会い....

昭和80年9月7日木曜日は僕がこよなく愛する二人の芸術家 - オスカアとアレッハンドロ - と霊界&現世にて交流出来た記念すべき一日となりました。

明日8日金曜日は今回の旅で恋に落ちた街、音楽の都ウィーン再訪也!