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August 14, 2005

●西方見聞録其乃壱拾壱: ウィーン・モン・アムール

8月7日日曜日、伊太利亜よりスロバキア経由といふ波瀾万丈の道中を経てやってきたのが音楽の都ウィーン(因にこの日はイレブン・オクロック・ビール in 伊太利亜、アフタヌーン・ビール in スロバキア & エブニング・ビール in オーストリアと一日に三ヶ国にて地ビールを飲むという偉業(?)も達成!)。ウィーン南駅から慣れない地下鉄を乗り継いでお友達のBabsiとChristophに逢えたのは夜の10時という結構良い時間。そのままスーツケースを引きずってハプスブルグ王朝時代の栄華を今に伝えるような建物の地下にある居酒屋へ直行しいきなり地ビールで乾杯という幸先の良いスタート。

翌8日月曜日は近くのカフェにて久しぶりにメエルをチェックし、午後にBabsiちゃんと合流。マリア・テレジアの巨大な銅像が鎮座するハプスブルグ王宮等「ザ・ウィーン」な場所を散策した後、オーストリアの人々が夏に好んで飲むというWeisser Spritzerという白ワインとスパークリング・ウォーターをミックスした飲物をたしなむ。最初は「え"?」と思いましたが飲んでみるとウィーンの夏の夕まずめ時に実に合うんですね、これが。

その後ウィーン市庁舎前広場で音楽を聴きながら屋台でオーストリア伝統料理を食しました。オーストリア料理の味付けって僕的には子供の頃に母親に連れて行ってもらった帝国ホテルやホテル・オークラとかの「高級洋食レストラン」の味付けに近い「懐かしい」味なんです。多分明治時代の日本の洋食シェフってオーストリア・ハンガリー帝国料理に仏蘭西料理と同じ位影響を受けていたのではないでしょうか。(僕は偏食主義者なので食べられませんが)カツレツやビーフ・ストロガノフ/ハヤシライス等々「J-洋食」の原点を見つけたような気すらします。カツレツの語源は仏蘭西語ですが日本における調理法&味付けは絶対仏蘭西よりオーストリアに近いと思います。

しかもこの晩は地下鉄の駅でBabsiが数年間音信不通だったというお友達Annaとばったり出会うという素敵な運命のおまけ付き。

翌9日長崎原爆記念日は20世紀初頭のアートシーンに原爆を投下したと言っても過言ではないウィーン分離派の殿堂、そのものズバリのSecession Museumに行きました。午後2時半くらいだったと思いますが、Weisser Spritzer = Wiser Spiritという訳でBabsiも僕も酒気帯びまくりで長さ30メートルを超えるクリムトの壁絵を観ていたら、その前にマーケットにてゲットした木樽で漬けられたサワークラウト(ドイツ版キャベツの漬け物)の漬け汁が壁絵と同じ部屋に展示してあるクリムトのオリジナル・スケッチの上にポタポタ!係員の目を盗みトイレからトイレット・ペーパーを盗って来て慌てて拭き拭き。とりあえず事無きを得ましたが、クリムトの魂がこれを一部始終観ていたとしたら自分のスケッチが21世紀にサワークラウト漬け汁でリミックスされたという事実を結構喜ぶのではないかと思いますけど、皆様はどう思われます?この日はこのネタで二人でゲラゲラ笑いっ放し。

その後カフェやバーを何軒もハシゴし、その間にChristophが合流&離脱、そして前の晩に逢ったAnnaちゃんが合流。最後には売春宿をそのままクラブにしたというとってもファンシィでラヴリィなTanzcafe Jenseitsという場所に行きました。そこのDJは「オーストリアの演歌」としか形容しがたいキッチュなSchlagerという音楽とマンボ、単語もといタンゴをミックスするという正に'100% Uncool!'な選曲。お客さんが皆異様にフレンドリーで最後は全員輪になってダンシング・オールナイト!

翌10日は予想通り怒濤の二日酔い。でもBabsiと待ち合わせていたので血中アルコール度が依然高すぎる我が身に鞭を打って30分遅れで待ち合わせ場所Museum Quarterに到着。最初はLeopord Museumでエゴン・シーレの常設展を観に行く予定だったのですが、この嘔吐感とシーレの絵がとても食い合わせが良いとは思えなかったので(クリムトの時のように嘔吐にてシーレの作品をリミックスというパターンもありだったかもしれませんが...)急遽予定を変更しヒーリング度がより高い水族館へ。この水族館、変わっているのがその建物 - 元ナチスの要塞で戦後壊される予定だったのですが、厚さ6メートルを超えるコンクリートと鋼鉄による頑強な建物で原爆を持ってしても破壊出来ないらしく、結局建物そのものをリサイクルするという事となり水族館になったとのこと也。ともあれ可愛いお魚や海亀をみていたら体調はすっかり回復。

この晩はAnnaをはじめ他2名を招集して皆でクラビング!という事となりウィーン市の中心に位置するドナウ運河のほとりにある大きなクラブで行われているLondon Callingというパーレーへ。音楽はその名の通り身もフタもない'ROCK'。酩酊&XXXXの為あまり詳しくは憶えていませんがThe LibertinesのCan't stand me nowがドロップされていました。後半はずっと運河の畔に座って皆でお話に興じておりました。

そして木曜日、連日ダンシング・オールナイトなのでこの日は遅めの午後3時にAnnaとBabsiとMuseum Quarterで待ち合わせて60年代のウィーン・アクショニズム回願展へ。Damien Hurst顔負けの強烈な表現に好き嫌いを超越して呆然としてしまった、という事はきっと良質のアートだったのでしょう。でも60年代の時点であそこまでやり尽くされていたら今アヴァンギャルドなパフォーマンス・アートで出来る事って残っているのかな、とすら思いました。西方見聞録其乃参で言及した劇'Je suis sang'もこれに比べたらインパクトの度合いで言えば幼稚園の御遊戯会程度です。という訳で美術館で散々ちんちんを観た後は御口直しに皆で可愛い真っ赤なちんちん電車に乗ってウィーン市内観光。その晩はChristophの家に行ってAnnaとBabsiと僕の3人(Christoph自身は早々と御就寝)で朝迄アートから哲学、スピリチュアリティに至るまで語り明かしました。その結論は

'御便所こそが真の懺悔室であり教会であり寺院である'

そして殆ど一睡もせず迎えた12日金曜日の朝、ウィーンとのお別れの時も文字通り秒読み段階に。あまりにも楽しい時間を過ごしたせいかこんなに出発が辛かったのは初めてでした(ていうか正直移住したい位この街とその人々に恋に落ちました)。しかし前進あるのみ!という事でウィーン東駅にてBabsiちゃんとお別れしてブダペスト行きの電車に乗りました。満席で坐れなかった事もあり、電車がウィーンを遠のいていくように徹夜でもうろうとしていた意識も遠のいていきました......