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●西方見聞録其乃壱拾参: 桐野美耶子の晩夏 第一回 - '博愛'より'偏愛'

August 31, 2005

4泊5日滞在したPRIMA HOTEL (11 Csengery u., VII , Budapest / www.hotels.hu/prima) からブダペスト国際空港への道のりは目に映る景色全てがアウトライン化して全てが実態のないような、しかしそれでいて歴史の重さは確実に存在している - 街の中心地から空港までの足代が340フォリント(約188円)という実態の極めて希薄な貨幣価値がその代償となる道中のイメージそのものを空っぽにしてしまったのか、だとすれば僕の魂は自分の思っている以上に拝金主義に汚染されていることになります。

89年に所謂「自由」を勝ち取ったとされる東欧諸国ですが、我々の存在自体の「目的」が空欄である限りそれは自由という名の座敷牢にすぎないというのはポスト実存主義の21世紀を生きる我々には分かり切った事実なのでは。そんな不安満載の僕たち・わたしたちの存在に最もお手軽に「目的」を与えてくれるのが「価値観のバリュー・セット」こと「宗教」。そして直接生命に危機感を与えるという類の貧困とはほぼ無縁の生活を送っている21世紀の所謂「先進国」におけるもっともポップな宗教といえばCapitalism、資本主義でございます。ルネッサンス期、最も優れたクリエイター達は教会の庇護の元、一般大衆の神への畏怖の念を焚きつける宗教画を描きまくって生計を立てておりました。同じく今日最も優れたクリエイター達(or 狡猾な人達?)は広告代理店で大企業の庇護の元、一般大衆の購買意欲をひたすら焚きつけるクリエイティヴな宣伝やキャッチ・コピーを昼夜創り続けております。両者人々の不安を利用するという共通点を持つわけで結論:

"イツノ世モ人々ノ不安ハ換金可也"

で2005年8月現在そんな資本主義の究極の形を体現しているグロい街といえば空前の好景気に湧いているバブリーな桐野美耶子嬢。僕の人生に最も大きな影響を与えた、かつて人類史上最大規模だった世界帝国の首都にほぼ6年ぶりに戻って参りました。ブダペスト-倫敦間のフライトは遅延するわその間激しい偏頭痛に襲われるわで散々でした。しかも例のテロの直後でもあり更に過去個人的にも諸々のトラブルに苛まれた事もありで入国審査はかなりの困難が予想されました。「もし忌みグレでトラブりそうだったら直ぐに仏蘭西に行こう!」と決心していた僕。そんな米国と並んで世界で最も厳しくタチの悪い英国のImmigration Officerとのやりとりは以下の通り;

(パスポートを念入りにチェックした後)
I.O.: What is your purpose of visiting the UK?
Ken: Sightseeing.
I.O.: How long do you intend to stay here?
Ken: Two weeks.
(Bang!)

でおしまい(所要時間約15秒)。6ヶ月滞在可の観光ヴィザをいただき約15年ぶりに降り立ったGatwick国際空港。そのままThemesLinkという電車に飛び乗って倫敦市中のKings Cross駅へ直行。そこで見た風景は......

僕がこの地球上で最も愛している造形物であり倫敦の風景には絶対に欠かすことが出来ない筈のRoutemaster(旧式二階建バス)が何処にも見あたらない!

2012年オリンピック誘致の為バリアフリー都市計画を推し進めていた倫敦では車椅子の人が乗れない旧式二階建てバスはどんどん姿を消していきました。これらバスはスエズ運河を越えてインドのムンバイ等で第二の人生を送るらしいのです。それはそれでバス自身にとってはある意味幸せな余生を送ることなのかもしれません。しかし!様式美を重んじる者として言わせていただければこれはCultural Genocide(文化の大虐殺)に他ならないのでは。「自分はあの愛おしいバスに乗った最後の世代なのだ」という寂しさを体全体で感じながら倫敦の滞在が幕を上げたのです。

「詐欺!」と叫びたくなるような夏とは思えない許しがたきひんやりとした空気にも、その寒さでカチカチに乾燥している犬の糞だらけの歩道にも、その歩道に蔓延する魚とジャガイモを揚げているだけで決してグルメチックとは言えないレストラン発の香りにも、そんな油の香りが立ちこめるあらゆる様式が混在したハチャメチャな街の風景にも、その風景の中で目にする「ギリギリな」人達にも、そんな「ギリギリな」人達が飲んでいる生ぬるいビールにも、僕にとってそこには概知の価値観を超越した「愛おしさ」があるのです。トレンディなボキャを引用すれば「フェチ」なのかもしれませんが、そんな俗悪な言葉でこの抑えようがない気分の高揚をまとめる事は一耽美主義者として「拒絶」致します。

「'博愛'より'偏愛'」に重きを置いている僕 - 声を大にして一言:

世界で一番だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい好きな街!

(ふぅ〜)

はい、失礼致しました。

因にこの真ん中の家は僕がかつて住んでいて、こよなく愛したお家です。場所はAngel, Islington N1

正に純然たるエネルギーの浪費に等しいこの'偏愛'、しかしその「偏愛」の中にこそ我々の存在「目的」の空欄を埋めるヒントが隠されているのではという予感が致します。

つづく

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●西方見聞録其乃壱拾弐: It's always better on holidays

August 22, 2005

8月12日早朝、後ろ髪を引かれる思いで後にした音楽の都ウィーン。万感の思いを込めて電車はハンガリー国境へと向かう訳ですがこの日はバリ混みで席の予約も出来ずウィーン-豚ペスト間立ちっぱなし。しかも朝から偏頭痛にも襲われロマンとペーソスに浸る暇すらない大変な旅。

しかし旧オーストリア-ハンガリー・ツイン・エムパイアのもう一つの帝都、豚ペストへはほぼ予定通り昼過ぎに到着。ここから宿探し等々始める訳ですが全く基礎知識もないまま結局ガイドブックも携えずにやって来てしまった僕、右も左も判らす町中駆けずり回った挙句やっと一泊一万フォリント(約5,526円)というそこそこリーズナブルな(っつ〜か日本の感覚からしたらかなり安い)個室で場所も街の中心地というホテルをゲット。因に何故この日電車を始めホテル等ゲキ混みだったかといいますと実はこの一週間ハンガリー版フジロック若しくはグラストンベリーとでも言うべき夏の風物詩、Sziget Festivalという野外フェスが行われていたからなんです。会場は苗場やグラストンベリーと違い豚ペスト市内を走るドナウ川の中州の島。街の繁華街からは電車で15分程度という素晴らしいアクセスの場所なのですが、その代償として市内の安ホテルは皆満員。アウトドア・サバイバル系が元来苦手な僕的には喜んでいいのやら悲しんでいいのやらと行った状況でした。僕の到着した夜は大好きなBasement Jaxxがプレイするという事で行きたかったのですが(因にその前の晩のトリはUnderworld)、疲労困憊しきっていたのと偏頭痛で完全にKO。

結局Sziget Festivalに行けたのは14日日曜日。一日券は5,000フォリント(約2,763円)、フジロックの一日券16,000円と比べて五分の一以下(しかも苗場と違って足代も殆どゼロ)、一週間の通し券でも25,000フォリント(約13,815円)とフジロックの一日券より安いんですよ〜(因に豚ペストの食事&公共交通機関代はせいぜい東京の三分の一程度)。美味いビールが安く、しかも大人だましなB級エンターテインメントも満載のこのフェス、雰囲気も基本的にはピースで知らない人とでも気軽に声を掛け合ったりなかなか素敵なヴァイブでした。しかしこの日はFrantz Ferdinandがメインステージのトリだったせいか、Sziget Festivalが史上最高の6万人を超える入場者を記録したせいか、健全なヤングの夏の風物詩である違法薬物乱用のせいか、Franz Ferdinandというバンド名がオーストリア-ハンガリー帝国民の心の琴線に触れる名前だったせいか、或は単純にハンガリー民族がアルコールを心の拠り所としている人々のせいか観客は生命の危険を感じるくらいのテンションで盛り上がりアリーナはビールの雨及びダイヴ&ボデーサーフィンの嵐。なにしろ体重150kgはあろうかという恰幅の良い欧州人の方々が頭の上に降ってくる訳ですから自分の首の骨が折られないように気をつけつつFranzのコンサート、エンジョイさせていただきました。しかしそんな命がけの体験を通じて東欧スラブ民族特有の人生に対する自己破壊的(=事故は快適?)情熱を垣間見るという貴重な経験をさせていただきましたです(とかなんとか言いつつハンガリー人のルーツって厳密にはモンゴル系でスラブ系ではないらしいのですが、繁殖力旺盛なスラブ民族との混血が進んだ結果、ハンガリアンのデフォルト設定は金髪碧眼。言語等を除いて身体的特徴はすっかりコーカサス民族化してしまっております)。

結局豚ペストは4泊5日滞在したのですが、頭痛が酷くて有名な豚城以外はろくに観光らしい事は一切致しませんでした。しかし街はいい感じで「天然」なレトロ&ポンコツ美をたたえていて結構ツボに入りました。特にちんちん電車と駅の構内に多々ある不可解な商店の数々の魅力は説明不可!最高!

「天然」といえば泊まっていたホテルのオーナーがなかなか面白い近代ハンガリー大衆音楽史の珍エピソードを教えてくれました。去る1970年代 - まだ社会主義体制真っ盛りで西側からの情報がかなり制限されていた時期 - 正に「奇跡的」としか言いようがないルートを経て、とある極東亜細亜の歌謡曲がハンガリーで大ヒットしたんだそうです。

それはなななんと「ブルーライトよこはま from いしだあゆみ」!

町の明かりがとてもきれいね よこはま〜 ブルーライトよこはま〜♪

なにげに食い合わせが悪く無さげな「いしだあゆみ」と「ハンガリー」。この話を聞いてまたちょっと豚ペストが好きになりました。話は若干ずれますが個人的にはクレイジー・ケン・バンドの"レッドライトよこはま"という曲も素敵だなって思います。

Sziget FestivalでFranz Ferdinandがプレイした中にJacquelineという曲がありまして、この一節が実に僕の人生の「あの瞬間」を完璧に代弁してくれたような気が致しました;

It's always better on holiday
So much better on holiday
(ホリディって最高!普段より全然ホリディって楽しいじゃん)

That's why we only work when
We need the money
(だから僕らみんな金が必要な時だけ働くんだよ)

I'm so drunk
I don't mind if you kill me
(もうべろんべろんに酔っぱらってる/もし今殺されたって全然平気さ)

てな訳で次は僕の第二の故郷であり、僕をこんなふうにした張本人であり、地球上で何処よりも何処よりも間違いなく一番心を捧げ、憎んでいる街、倫敦で御座います。

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●西方見聞録其乃壱拾壱: ウィーン・モン・アムール

August 14, 2005

8月7日日曜日、伊太利亜よりスロバキア経由といふ波瀾万丈の道中を経てやってきたのが音楽の都ウィーン(因にこの日はイレブン・オクロック・ビール in 伊太利亜、アフタヌーン・ビール in スロバキア & エブニング・ビール in オーストリアと一日に三ヶ国にて地ビールを飲むという偉業(?)も達成!)。ウィーン南駅から慣れない地下鉄を乗り継いでお友達のBabsiとChristophに逢えたのは夜の10時という結構良い時間。そのままスーツケースを引きずってハプスブルグ王朝時代の栄華を今に伝えるような建物の地下にある居酒屋へ直行しいきなり地ビールで乾杯という幸先の良いスタート。

翌8日月曜日は近くのカフェにて久しぶりにメエルをチェックし、午後にBabsiちゃんと合流。マリア・テレジアの巨大な銅像が鎮座するハプスブルグ王宮等「ザ・ウィーン」な場所を散策した後、オーストリアの人々が夏に好んで飲むというWeisser Spritzerという白ワインとスパークリング・ウォーターをミックスした飲物をたしなむ。最初は「え"?」と思いましたが飲んでみるとウィーンの夏の夕まずめ時に実に合うんですね、これが。

その後ウィーン市庁舎前広場で音楽を聴きながら屋台でオーストリア伝統料理を食しました。オーストリア料理の味付けって僕的には子供の頃に母親に連れて行ってもらった帝国ホテルやホテル・オークラとかの「高級洋食レストラン」の味付けに近い「懐かしい」味なんです。多分明治時代の日本の洋食シェフってオーストリア・ハンガリー帝国料理に仏蘭西料理と同じ位影響を受けていたのではないでしょうか。(僕は偏食主義者なので食べられませんが)カツレツやビーフ・ストロガノフ/ハヤシライス等々「J-洋食」の原点を見つけたような気すらします。カツレツの語源は仏蘭西語ですが日本における調理法&味付けは絶対仏蘭西よりオーストリアに近いと思います。

しかもこの晩は地下鉄の駅でBabsiが数年間音信不通だったというお友達Annaとばったり出会うという素敵な運命のおまけ付き。

翌9日長崎原爆記念日は20世紀初頭のアートシーンに原爆を投下したと言っても過言ではないウィーン分離派の殿堂、そのものズバリのSecession Museumに行きました。午後2時半くらいだったと思いますが、Weisser Spritzer = Wiser Spiritという訳でBabsiも僕も酒気帯びまくりで長さ30メートルを超えるクリムトの壁絵を観ていたら、その前にマーケットにてゲットした木樽で漬けられたサワークラウト(ドイツ版キャベツの漬け物)の漬け汁が壁絵と同じ部屋に展示してあるクリムトのオリジナル・スケッチの上にポタポタ!係員の目を盗みトイレからトイレット・ペーパーを盗って来て慌てて拭き拭き。とりあえず事無きを得ましたが、クリムトの魂がこれを一部始終観ていたとしたら自分のスケッチが21世紀にサワークラウト漬け汁でリミックスされたという事実を結構喜ぶのではないかと思いますけど、皆様はどう思われます?この日はこのネタで二人でゲラゲラ笑いっ放し。

その後カフェやバーを何軒もハシゴし、その間にChristophが合流&離脱、そして前の晩に逢ったAnnaちゃんが合流。最後には売春宿をそのままクラブにしたというとってもファンシィでラヴリィなTanzcafe Jenseitsという場所に行きました。そこのDJは「オーストリアの演歌」としか形容しがたいキッチュなSchlagerという音楽とマンボ、単語もといタンゴをミックスするという正に'100% Uncool!'な選曲。お客さんが皆異様にフレンドリーで最後は全員輪になってダンシング・オールナイト!

翌10日は予想通り怒濤の二日酔い。でもBabsiと待ち合わせていたので血中アルコール度が依然高すぎる我が身に鞭を打って30分遅れで待ち合わせ場所Museum Quarterに到着。最初はLeopord Museumでエゴン・シーレの常設展を観に行く予定だったのですが、この嘔吐感とシーレの絵がとても食い合わせが良いとは思えなかったので(クリムトの時のように嘔吐にてシーレの作品をリミックスというパターンもありだったかもしれませんが...)急遽予定を変更しヒーリング度がより高い水族館へ。この水族館、変わっているのがその建物 - 元ナチスの要塞で戦後壊される予定だったのですが、厚さ6メートルを超えるコンクリートと鋼鉄による頑強な建物で原爆を持ってしても破壊出来ないらしく、結局建物そのものをリサイクルするという事となり水族館になったとのこと也。ともあれ可愛いお魚や海亀をみていたら体調はすっかり回復。

この晩はAnnaをはじめ他2名を招集して皆でクラビング!という事となりウィーン市の中心に位置するドナウ運河のほとりにある大きなクラブで行われているLondon Callingというパーレーへ。音楽はその名の通り身もフタもない'ROCK'。酩酊&XXXXの為あまり詳しくは憶えていませんがThe LibertinesのCan't stand me nowがドロップされていました。後半はずっと運河の畔に座って皆でお話に興じておりました。

そして木曜日、連日ダンシング・オールナイトなのでこの日は遅めの午後3時にAnnaとBabsiとMuseum Quarterで待ち合わせて60年代のウィーン・アクショニズム回願展へ。Damien Hurst顔負けの強烈な表現に好き嫌いを超越して呆然としてしまった、という事はきっと良質のアートだったのでしょう。でも60年代の時点であそこまでやり尽くされていたら今アヴァンギャルドなパフォーマンス・アートで出来る事って残っているのかな、とすら思いました。西方見聞録其乃参で言及した劇'Je suis sang'もこれに比べたらインパクトの度合いで言えば幼稚園の御遊戯会程度です。という訳で美術館で散々ちんちんを観た後は御口直しに皆で可愛い真っ赤なちんちん電車に乗ってウィーン市内観光。その晩はChristophの家に行ってAnnaとBabsiと僕の3人(Christoph自身は早々と御就寝)で朝迄アートから哲学、スピリチュアリティに至るまで語り明かしました。その結論は

'御便所こそが真の懺悔室であり教会であり寺院である'

そして殆ど一睡もせず迎えた12日金曜日の朝、ウィーンとのお別れの時も文字通り秒読み段階に。あまりにも楽しい時間を過ごしたせいかこんなに出発が辛かったのは初めてでした(ていうか正直移住したい位この街とその人々に恋に落ちました)。しかし前進あるのみ!という事でウィーン東駅にてBabsiちゃんとお別れしてブダペスト行きの電車に乗りました。満席で坐れなかった事もあり、電車がウィーンを遠のいていくように徹夜でもうろうとしていた意識も遠のいていきました......

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●西方見聞録其乃壱拾: 宴の後

話は少し前後しますが、7月アヴィニョンにいたときにIrmin師に'サディズム'という言葉の語源にもなっているあのサド公爵がかつて住んでいたお城のあるLa Costeという村に連れて行ってもらいました。

お城自体はご覧の通り現在は廃墟と化しております。それなりに名所ではあるのですが非常にアクセスが悪く、車が無くては来られません。しかもこのお城、今では巴里のファッション・ブランドがファッション・ショーを行ったりしていてカルト&クールな位置付けに収まりつつあるという悲哀....

この廃墟と化した場所で200年以上前に「悪徳の栄え」や「ソドム百二十日」に描かれているようなある種求道的でさえある酒池肉林が展開していたのかと思うと正に

夏草や 兵共が 夢の後

その後はお城のすぐ近くにあるCafe de Sadeという場所でIrminと一緒にPasitisを飲みながらゆっくりと時間の流れるプロヴァンス地方の午後を満喫いたしました。

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●西方見聞録其乃九: 因果鉄道の夜

August 13, 2005

あての無い放浪にはえてして摩訶不思議な事が起こるものですが、伊太利亜からオーストリアへの移動はパラレル・ワールドに迷い込んだような「トワイライト・ゾーン」的トリップ感満載の素敵な旅でございました。

「全ての繁栄には必ず終わりが来る」という訳で伊太利亜におけるワイルドな宴が終焉を迎えた8月7日日曜日の朝。Leccoの駅でマルコと抱擁し11月に花の大東京で再会する事を約束して別れ電車は出発しました。車内でフライトの内容を確認すると;

Tax receipt
Confirmation number: 1565274
Receipt and Itinerary as of 03.08.2005 13:24:32
You will need to provide this confirmation number and your passport/photo I.D. and valid visas (where applicable) at check-in to receive your boarding card.

ITINERARY:
FROM/TO FLIGHT DAY DEPARTURE ARRIVAL
Milan - Orio Al Serio / Bratislava 367 07.08.2005 07.08.2005 15:15:00 07.08.2005 16:35:00
Passenger(s) Charge Description Original Amount Amount
NISHIKAWA, KEN AIR - - SKY9 133 EUR 133 EUR
TAX - Insurance 2 EUR 2 EUR
TAX - Baggage Tax 2.12 EUR 2.12 EUR
TAX - Service Fee 5 EUR 5 EUR
TAX - Departure Tax 7.42 EUR 7.42 EUR
TAX - Security 1.81 EUR 1.81 EUR
TAX - Fuel Surcharge 9 EUR 9 EUR

Reservation totals: Air fare 133 EUR
Tax 27.35 EUR
Special Service 0 EUR
TOTAL CHARGES 160.35 EUR

******

「ミラノのOrio Al Serio空港から"ウィーン"のBratislava空港へのフライトか」と漠然と考えつつ空港のチェックイン・カウンターに行くとSky Europe社の女性が僕のパスポートを見て「ヴィザが本当に必要ないか確かめましたか?」。日本において海外渡航が自由になって以来、3ヶ月以内の滞在であれば"オーストリア"はヴィザは必要ない筈だと頑に信じていた僕は「要らない筈ですよ」と答えそのまま機上の人に。

機内では当然英語で非常時の為のアナウンスが始まりました。その後"ドイツ語"でのアナウンスと続く訳ですがドイツ語は全く解さないにせよドイツ人の友人も数多くいるうえ、Irmin & Hidegard邸に滞在していたときにはさんざんドイツ語を耳にしていたので大体どんな響きかは解っております。この機内アナウンス、どう聴いてもドイツ語に聞こえないんです。「オーストリアのドイツ語って青森弁より訛が強いのかなぁ?」とか思いつつシートベルトを着用して因果鉄道999はパラレル・ワールドに向かって離陸。

この日は乱気流が激しく飛行中は殆どシートベルト着用サインがつきっぱなし。たどたどしい英語で的を得ない説明をする機長の機内アナウンスも逆に乗客の不安をあおるばかり。なのに予定時間より15分も早く到着というありえなさ!!!

ところが到着してみると空港のサテライトの上には紅白のオーストリアの国旗とは似ても似つかぬ若干ロシアの国旗に似た旗がたなびいているではありませんか!「もしかしたら英国のウェールズみたいにこの地域も独立運動とかさかんなのかな」と無理矢理自分を納得させ「入国審査」へ。

西方見聞録其乃八でも申し上げた通り今やEU国間ではパスポート検査等一切省略されているのですが、"オーストリア"の筈なのにこのBratislava空港の「入国審査」は執拗に厳しく、周りにはマシンガンを持った警備員が立っています。

何はともあれ特に大きな問題もなく税関も通過して空港ロビーに出てみると「文字化け」としか形容のしようがない不可解な表記だらけ。しかも全ての金額の表示が明らかにユーロではないのです(おまけにかなり寒い)。「ここはオーストリアではない!」という衝撃の事実が僕の脳にゆっくりと浸透して行きます。

しかしネットで予約した際はBratislava国際空港からウィーン市内までシャトルバスで約1時間と書いてあったのにどうしてだろうと思いツーリスト・インフォメーションで訊いてみると「おっしゃる通り。または空港からバスに乗ってBratislava駅に行き電車に乗り"国境を越えて"ウィーンに行く事もできますよ」との返答。

そう、ここは1993年に独立したばかりの隣国スロバキアの首都Bratislavaだったんですね〜。この辺の国々は皆小粒揃いというのは知っていましたがまさかスロバキアとオーストリアの首都が成田と東京より近いなんて知る由もありませんでした。てな訳で計らずして生まれて初めて元共産圏の国の土を踏んでいた僕。

チェ・ゲバラが大好きな僕にとって社会主義の国というのはある種のロマンティシズムをたたえている訳ですが駅に向かうバスの中で見る風景には'MacDonald's' や'KFC'、'IKEA(スウェーデンの家具メーカー。日本語だと「池屋」、英語だと「愛木屋」と発音)'といった西洋資本主義のアイコンがいやがおうにも目に入ってきます。

一抹の悲哀を感じつつかなりレトロな作りのBratislava駅から因果鉄道999に乗ってウィーン南駅に着いた時には日はとっぷりと暮れておりました。これから友人のBabsiに電話をしてウィーン市内のどこかで落ち合い僕の音楽の都における滞在が始まる訳でございます。

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●西方見聞録其乃八: マルコを訪ねて三千里

August 08, 2005

ここはミラノから電車で約45分の所にある湖畔の街Lecco。DJの友人マルコを訪ねて仏蘭西より国境を超えてやって来た訳ですが、今は通貨もユーロに統一されて国境でのパスポート検査も割愛。確かに色々な意味で楽にはなりましたが若干旅の情緒が失われた感は否めません。

まあそんなオヤジの主観的感傷はさておき、伊太利亜、良い国です。観光で訪れるには一番好きですね〜。食べ物も美味しいし人もフレンドリィだし。

到着したのは火曜日の夜。駅の近くのバールで友人マルコと待ち合わせしてから早速バールの梯子。ミラノ中央駅で早速ビールを飲んでいたのでいい感じに酔っぱらって就寝。

翌水曜日はマルコのオフィスに行ってアヴィニョンのIrmin Schmidt師邸を出て以来初めての繋ぎ放題BBインターネット・サーフィン!体内を激しく流れるアドレナリンに自分のネット中毒ぶりを痛感。

木曜日はミラノに行ってきました。初めてではないので特に観光もせず、さりとてショッピングをするでもなくドゥオモ近辺をだらだらと散策。やはりこういう街は腰を下ろしてみないと本当の意味で「体験」は出来ませんね。

そして週末はマルコの計らいで2日連続でDJ。金曜日はLecco湖のほとりにあるサンフラワーというバール。写真でもお分かりのようにDJブースからもLecco湖、そしてスイスへと繋がっているイタリアン・アルプスが一望出来る景勝地ですが、基本的には所謂クラブではないのでややチルな選曲でした。ただこの晩は昼ワインを飲んでから夕方地酒グラッパの4ショットを経て色々な意味で「過・剰・摂・取」。

という訳で翌土曜日は生死の狭間を漂う地獄の二日酔い。この日はお昼から街の広場に或るバールでプチ野外フェス状態だった為、本来は午後の早めの時間に出演の予定でしたがマルコに頼んで少し遅めにしてもらい夕方近く迄ソファーに横になりながら伊太利亜のテレビ番組を観ておりました。(ときにこのLeccoではバー・クラブにおいて大音量で音楽を流せるのは12時迄という条例があるらしいのですが、このイベントはそれに反対する署名運動も兼ねてマルコ自身がオーガナイズしたものなんです。更に彼はBjorkの大ファンでアルバムは勿論の事、シングル迄全部買い揃えている他、Bjork主演映画'Dancer in the dark'のDVDをななななななんと4枚(!!!!)も持っています。伊太利亜人がデフォルトで'熱い'というのは定説ですがこのマルコ、そんな伊太利亜の基準からしてもア・ツ・ス・ギ。)夕方やっと自力で動けるくらいに復活してくだんのハコに向かい夕方4時半よりDJ開始。それなりに盛り上がったのですがDJしている途中いきなりこの日に出会ったイタリア人DJの方とお店のオーナーから所謂日本で言う「大ジョッキ」のビールを同時に奢って頂きました。地中海人って本当に気前が良いんですよね。ともあれなにげにマッチョな僕、奢って頂いた飲物は飲み干さなくては義理が立たん!とばかりに両方飲んで正に向かい酒状態。翌日飛行機に乗ってオーストリアへと旅立つというのに大丈夫なのか?という農耕民族的な一抹の不安も取り巻く狩猟民族的&地中海的楽観ヴァイブに払拭され「ええい、ままよ!」状態でパーレー。DJした後は多くの人に'Hey Mr. DJ!'と声をかけられて沢山の人達とお話をしました。最後の写真は生まれて初めて「一緒に写真を撮って下さい」と頼まれたレコネーゼのお嬢さん方。この晩は結局2時位迄飲んでいた訳ですが、最後は客が暴れ始めてグラスや瓶が飛び交う映画のワンシーンのようなエンディング。そんな中で僕はと言えば壊されないようにと安全な所にコンピュータを移動しているという小粒ぶり。まだまだ人生学ぶ事が多いな、と思いました。結局店員&オーナーまでこの恐るべき破壊行為に参加、万華鏡のやふなカオス絵巻が繰り広げられてゲーム・オーヴァー。最後の客が出て行って壊れたガラスが散乱し滅茶苦茶になっている店内を観ながら満面の笑顔を浮かべて'Tomorrow, hard life!'と言っていたオーナーの姿が強烈に印象に残りました。

地中海沿岸&ラテン系語国圏特有のダンディズムをチラリズムで垣間見た見た伊太利亜最後の夜。明日は音楽の都ウィーンで御座います。

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●西方見聞録其乃七: サイケな夏をコートダジュールで

August 03, 2005

3週間に渡って滞在した仏蘭西ですがいよいよしばしお別れの時が迫ってまいりました。そんな訳でやってきたのが伊太利亜国境に程近いコートダジュールに位置する小さな村、Tourrettes。出かけるときにドアに鍵すらしないという非常にのどかな場所なのですがフタを開けてみると!!!

竜宮城も真っ青のパーレータウンなんですね。7月29日金曜日朝6時38分発の電車に飛び乗り仏蘭西西端のピレネー山脈より約9時間電車に揺られ最寄りの駅Cagnes(丁度カンヌとニースの中間にある街)に降り立ちました。そこで4年ぶりに再会した友人Tootsとハグハグした後、Tootsのママの車で30分かけて村にやっとこ到着したかと思いきやチルアウトする間もなくスーツケースを友人宅に置いて仮装パーティーに直行!


これも単なる仮装パーティーというのは'仮装'でその実体は完全無欠なるレイヴ。スーツケースの置いてあるTootsのパパ宅に戻れたのが翌日の夕方。その間お昼の12時より5時間のマラソンDJセッションまで行わせていただきました。因にこのセットのテーマは'Saturday Afternoon Berbecue Music'、という訳でろくに繋ぎもせずダラダラと曲をかけていただけでしたが皆様にはそれなりに喜んで頂けた模様。

その後慌ただしくかろうじてシャワーなんぞを浴びた後、お茶をしばく暇もなく車に飛び乗ってまたまた別の仮装パーレーに。この晩はさすがにエナジー残量がほぼ0%だったので夜中にTootsのママと一緒に帰りました。デフォルトで不眠症チックな僕ですがさすがにこの晩はカッツリと就寝。

翌7/30日曜日も午後からバーベキュー・パーレー。これも所謂のどかな田舎のバーベキューを想像しては大間違い!庭では4ピースのロック/レゲェ・バンドが生演奏をしながらあちらこちらから紫の煙がたちこめるという4 REALなパーレー。この晩はデンマークの人とか英語が話せるPartierの方々がいらっしゃったので結構話し込んでいたらかなりいい時間に。気付けば友人Tootsを始め一緒に来た人達は誰もいなくなっておりました。この家はかなり山の中に位置しており、来る時も車だったのですが相当出来上がっていたせいか「酔い覚まし&XXXX覚ましに歩こうか」なんて思ってふらふらと歩き始めました。真夜中に民家はおろか街頭すらない真っ暗のコートダジュールの山道を行き先もろくに判らずにひたすら歩くというこの状況、客観的に考えると危機感を覚えてもおかしくはないのでしょうが、そこは太陽も月も射手座に入っているという筋金入りの極楽トンボである僕、「なんとかなるさ」とすぐに考えて120%スリルを満喫しつつ歩いていました。

月の明かりだけを頼りに山道をしばらく歩いていると一台のシトロエンが停まりました。乗っていたのは皆20歳前後の若人。運転していたのは黒人の男の子、助手席には白人の男の子、そして後部座席には白人の女の子が乗っております。後部座席の女の子がいきなり英語で;

Girl: Where are you going?
Me: Good question. Donno, really.
I think I want to go to the town centre.
You know, where the bars are.
Girl: Do you mean Tourrettes?
Me: I don't really remember the name. I think so.
Girl: We're going there as well. We'll take you there.
Me: Really? That's most kind of you. Thank you!

そんなこんなで見知らぬ方々に車で村まで送り届けていただきました。車中では女の子と会話していたのですが、当時も今も夢の中の出来事の様で本当に実感が湧きません。Tourrettes到着後丁重に御礼をして恐らく別のパーレーへ向かう途中であろうと思われる3人のフランス人の若人の方々と別れた後、村の広場に歩いて行くと日曜日の真夜中だというのに老いも若きもビールを飲んだりハッパを吸ったりしながら生のジャズバンドの演奏を聴き入っております。はるばるアフリカから地中海を超えて渡って来た微風が石灰質の大地を優しく愛撫する心地よい南仏の夏の夜 - 「地獄も天国もこの地上に共存している」という言葉がこれほど体の細胞の一つ一つに至るまで実感出来た瞬間はありませんでした。

ほんと、生きてて良かった!

翌月曜日は村人も日常の生活に戻り、田舎の静けさが戻ってくるかと思いきや昼休みに友人のTootsが「これから川に泳ぎに行く!」と。かくして125CCのYAMAHAのバイクに飛び乗って二人で川へと向かいました。青空の下、眼下に急な谷間が広がる南仏の道を昼下がりにバイク二人乗り - 笑ってしまうくらいに映画のワンシーンのような状況。川に着くとパーレーで逢った顔見知りの人が7, 8人いて皆でフレンチ・アルプス山頂の雪溶け水というこの世のものとは思えない程冷たい水の中にダイヴしたりして遊びました。これだけ水が冷たいと水中にいる時は全く別次元の世界に迷い込んでいるような気分になります(あとプチ生命の危険を感じました....)。

その晩は仏蘭西で過ごす最後の夜。食事をしながらTootsと話をしていたらななななななんと!この村には20年ほど前、僕がフェリーニよりキューブリックより小津よりも敬愛する異端映像の魔術師、ホドロフスキー老師が住んでいたそうな。しかもTootsの彼女のお婆ちゃんが当時の彼の妾だったと聞いて更に仰天!今は巴里で隠遁生活をしながらとあるバーでタロット占いをしているという噂のホドロフスキー。その真相を尋ねたらあっさり「うん。僕3回タロット占ってもらったよ」という返答!其の場所は巴里のリヨン駅に程近いBouleverd Daumesnilといふ通りにあるCafe le Temeraire。毎週水曜日にそこへ行くと整理券がもらえるそうです。一日20人で打ち止めとの事なので朝7時くらいには行っていた方がよいそうな。一切金銭は受け取らないそうですが、一ヶ月後自分の状況を手紙に書いてホドロフスキー老師に送る、というのが唯一の条件だそうです。

といふ訳で9月に花の都に戻った暁には'絶対'逝きます。

ホドロフスキー先生が僕の友人Tootsに対して宣った御言葉;

ある晩、師匠が無言で月を指差した。

未熟な弟子たちは師匠の指を見、そして賢い弟子たちは月を見た。

そんな訳で明日からは国自体が博物館状態の魅惑の国、伊太利亜です。

追伸:20歳未満の方がいらっしゃるのでEXPLICITな表現は自粛致しますが、上記の間ほぼずっと「瞳孔チューリップ」状態でした、ええ。

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●西方見聞録其乃六: The Red Rabbit Revolution - 赤兎革命

August 01, 2005

仏蘭西(ふらんす)の陸奥(みちのく)、といっても差し支えのない僻地、ピレネー山脈の谷間にあるUssat-les-bainsという村へはるばるとやってまいりました。所謂マクドナルドのようなお店がある最寄りの都市はトゥルースになりますが、そこから電車で一時間強揺られてから更に車で30分以上かかります。恐らくフランス国内で首都巴里から最もアクセス時間のかかる場所の一つでしょう。

何故このような場所にやって来たかといいますとDanielという倫敦時代の友人が住んでいるからなのです。その体の中に脈々と流れるユダヤの血がなせる技なのか、文字通り旧世界の大陸を流れ流れてこの村に「漂流」してきた彼、世間的に言えば僕の「大親友」なのですが、この日本語の「親友」という言葉程人々に凌辱されてきたボキャはないと思いますので彼と僕の不思議な関係を僕なりに再定義致しますと「人生でこれまで巡り会った多くの素晴らしい人々の中で最良のブレインストーミング・パートナーの一人」とでもなりましょうか。故に毎晩明け方まで語り明かした一週間といった感じでした。この写真はカフェで食事をしながら非常に形而上学的討論をしている最中の姿です。

またこの一週間は非常にクリエイティウ゛なひとときでもありまして’The Mystery of the Great White Worm (邦題: 巨大白ミミズの謎)’というタイトルの10分強のサイレント短編映画まで一緒に作りました。セピアっぽい白黒の写真がその映画のワンカットのスチルで左がDaniel扮する探検家、右が僕扮する巨大白ミミズです。童話のような展開ながら非常に哲学的なテーマでなかなか面白いですよ。

そして次の写真はMr. Diagonal(”ミスター対角線”=Daniel君のステージ名)が今年の冬にブルッセルで上演する戯曲、”The Red Rabbit Revolution”のポスター。これも僕が作りました。バックはユーロ・ディズニーランドのシンデレラ城です。僕がこよなく尊敬するアレッハンドロ・ホドロフスキー老師をして、「現代世界の諸悪の根源」と言わしめた悪の帝国ディズニーの暴君ミッキーマウスに征服されている地球を宇宙の彼方からやってきたレッド・ラビットが救うという「セミ・ドキュメンタリー」タッチの舞台劇です。

ユーロ・ディズニーといえばこのDaniel君は左系の有志を集めてユーロ・ディズニーランドを侵略し、ポスターにあるようにミッキーマウスを公開処刑してシンデレラ城に立て篭るという計画をかなり綿密にすすめていたそうです。結局有志たちの歩調が合わなかったのと昨今のテロ騒ぎで武装警官による警戒が厳しくなりすぎたので断念したそうですが、一応僕も「今度やるときには一声かけてね」と言っておきました。ディズニーの危険性を世間の方々に少しでも理解していただけるのであればこの命捨てても惜しくはないです。

君は人の為に死ねるか? By 杉良太郎

追伸:トゥルースといえばガトー・ショコラって画家のトゥルース・ロートレックがオリジネーターだったって皆様ご存知ですか?